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Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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ベルリンという街①

先月、10日間ほど、娘を連れて初めてドイツを訪れました。

大学時代、私が第二外国語でドイツ語を選択したのも、ベルリンで修士号、博士号を取得し、その後もドイツと日本を行ったり来たりしている叔母の影響でした。
そういえば、知らず知らずのうちに、博士号を取得する目標を持つようになったのも、叔母の影響が大きかったと思います。
私は最終的に叔母のように大学教授にはなることを選ばないかもしれませんが、それでも、彼女の生き方をどこかモデルのように思ってきた部分があったように思います。

彼女には子供がいないこともあって、私は幼少の頃から、実の娘のように可愛がってもらいました。
大人になってからも、叔母とは姉妹のような関係で、何かと相談に乗ってもらったり、出産の際にはアメリカまで駆けつけてくれ、1か月の滞在中、家事や育児を手伝ってくれたり、精神的にも随分支えてもらいました。

その叔母のベルリンの住まいに遊びに行くことは長年の夢でしたが、日本からもアメリカからも近いわけではないので、なかなか叶わずにいたのです。
今回は、イギリスという、せっかく2時間の飛行距離のところにいるのだから、来年アメリカに戻る前に、是が非でもドイツに行かなければ、ということで実現しました。

ベルリンの主な観光スポットはだいたい叔母に案内してもらったのですが、交通機関が発達していて、地下鉄もバスも使いやすく、歩ける距離に色々な見どころが点在していたりと、街歩きには最適の場所だと感じました。

街を歩いていて少し驚いたのは、第二次世界大戦中ドイツと日本が同盟国だったのが関係しているのか分かりませんが、街中の色々な部分で、ドイツが日本から取り入れたと思われるところが見られたところです。

例えば、KaDeWeやカールシュタットなどのデパートに入ると、商品の種類、物のディスプレイの仕方や、照明の明るさなどが、まるで日本のデパートそっくりなのです。

日本のデパートに入ると、まず1階はシャネルやティファニーなどのブランド品や、化粧品があったり、バッグやアクセサリーがあったり、その季節ごとに売れるものがあったりしますよね。
ドイツのデパートもそういう感じで品物が並んでいて、異国ながら、異国にいるように思えないような感覚がありました。
アメリカのデパートは人気(ひとけ)がなくて、照明も暗くて、営業してるのかな?と思うようなお店もあるのですが、ドイツのデパートは煌々と電気がついていて、光で満たされており、安心感がありました。

叔母に聞いたところ、ドイツのあるデパートが、日本のあるデパート(三越だったか?)をモデルにしたのが最初で、そのあとは他のドイツのデパートもそれに倣ったのだとか。

ドイツにはかわいい文房具が色々売っていて、まあそれなりにお値段はしますが、文具売り場は見ていて飽きることがありません。
文房具の種類・機能性・色・デザインなどで、おそらく世界一ともいえるのは日本ですが(アメリカでは、日本の文房具を持っていて学校で盗まれた、などの話はよく聞きます)、ドイツもなかなかのもの。ですが、日本を参考にしたと思われるような商品もたくさんあって、ここでも、なんだか懐かしい感じがしました。

もちろん日本がドイツから刺激をされて開発しているものも多くあるとは思います(キッチン用品など。ドイツのキッチン用品は本当に凄い!)。

両国の近さを肌で感じて嬉しくなったのは、地下鉄やバスの中でもありました。
私は大学で3年間習ったドイツ語をほとんど忘れてしまって、ドイツ人の会話の内容は分からないのですが、叔母に聞いたところ、今回の滞在中、娘を連れて3人で公共交通機関に乗っていて、何度も、ドイツ人が私たちのことを「あれは何人(なにじん)か」と議論していたというのです。

東アジア人(日本人、韓国人、中国人、台湾人など)を見て、見分けがつくのは東アジア人同士だけだと思っていましたが、叔母によれば、私たちのことを話していたドイツ人、ほとんど全員が、「日本人だ」という結論に至っていたそうです。

私が今住んでいるイギリスの町には東アジア人がほとんどいないのですが、カフェで会ったインド人にはいきなり中国語で話しかけられるし(ポカンとしていたら、英語で「え、中国人じゃないの?」」だって)、信号待ちをしていたら通りすがりのベトナム人のおばさんに「ベトナム人ですか」って言われるし、アメリカでは友達に「最初会ったとき、台湾人かと思った」って言われたこともあるし、(東アジア人以外の人に)初対面で「日本人でしょ」って言われることは今まであまりなかったように思います。

(注:ベトナム人と日本人は一番よく顔が似通っているという一説があります。)

なので、ドイツ人が私たちの顔だけを見て、「日本人だ」と分かったというのは、私にとっては何だか嬉しい発見だったのです。
それだけ、日本人の顔を見慣れているということだと思うのですが、ベルリンの街に日本人がそこまで多くはないことを考えれば、日本の文化が入ってきて身近に感じてくれているのかもしれないし、テレビで日本についての番組をよくやっているのかもしれない。
(日本のフクシマの廃炉問題や放射能被曝問題についても、よくニュース番組で取り上げられていると聞きます。脱原発を早い段階で名言しているドイツならでは、そしてチェルノブイリの影響がまだ残っているドイツならでは、だと思います。)

叔母のドイツ人の親友にも何人か会って一緒に食事をしたのですが、中には、ドイツが東西に分断されていた時代、東ドイツから、日本に、技術者として招へいされ、2年間を日本で過ごしたという人もいました。
日本の観光地の話や、食べ物の話などで盛り上がりました。
食べ物といえば、ベルリンには雨後のたけのこの如く、日本料理屋がたくさん出来ていて、確かにそこらじゅうで見かけました。
一度入った日本料理屋は、お昼時だったのですが、お店がお客さんでいっぱいで、日本食の人気を感じました。

長くなってきたので、ベルリンという町その②に続きます!

極寒バレンタインデー

昨日はバレンタインデーでした。

買い物に行って、かわいいハート型のケーキでも買って、頑張って料理を作るかと思っていたら、夜中にとんでもないことに・・・。

娘の泣き声で目が覚めたのは朝6時。

12月に3週間かけて「ねんねトレーニング」と「夜間断乳」をしてからは、夜は9時半から朝の8時半ごろまで通して寝てくれるいい子ちゃんなので、これはおかしいと思い、様子を見にいくことに。

ベッドから出た瞬間、

寒い!!!

いつもサーモスタットを23度に設定しているので寒いはずはなく、これはおかしいと思い、暖房をチェックしにいくと、サーモスタットが動かない。寝ている間にボイラーが壊れたらしく、暖房がいつの間にか消えていました。

娘はおそらく寒いので泣いたと思われ、様子を見に行くと、ベビーベッドから起き上がって「ママ・・・」と哀れな声。抱きかかえて、あたたまった大人のベッドに入れてあげると、おっぱいを飲んですぐ寝てしまいました。(そのまま朝の10時半まで寝てました。)

アパートの管理会社に電話をし、待つこと3時間、ようやくボイラーをチェックしに管理会社の人が来ましたが、直せないので、エンジニアが来るのを待つように、とのこと。

とはいっても、週末なので、そうそうすぐにエンジニアが来るわけもなく、今日は日曜なのでマンション管理会社も電話に出ない(一応営業してることにはなってるはずだけど)。

現在、部屋の温度は13度、外気は昼間は5度ぐらいありますが、夜はマイナス3度ぐらいまで下がるので、部屋の温度はどんどん下がっていくかも。逆に、湿度は、暖房がないのでどんどん上がっていて、普段45~55パーセントぐらいなのですが、今は72パーセント。洗濯をしてもどうせ乾かないので、洗濯ものはたまるばかり。

家の中が寒いと、当然ながら、便座もめちゃくちゃ冷たいし、なんかイライラしてしまったり、娘もお昼寝の時間に全然寝てくれないし、熱いバスでゆったりすることもできないということになり、何をしていても調子が出ないような気がしてしまいます。

昨日はお風呂もシャワーもできなかったので、お湯を沸かして(蛇口からお湯は出ないけど、料理のガスコンロは使える)、家族3人、タオルで体を拭きました。でも、拭いたそばから冷気でタオルがどんどん冷えていくので、あたたまった感じはゼロでしたが、とりあえずさっぱり。今夜もそれかな・・・。はぁ~。

そういえば洗濯機が壊れたときには、修理工が来るまで1週間以上かかりました。
月曜になったら修理工が来てくれるという保証もなく、ただ待ちながらひたすらマンション管理会社に電話するという日々がいつまで続くのか・・・。

極寒のバレンタインデーの週末となりましたが、心はあったかいので大丈夫!(のはず。)

もうすぐ1歳半

早いもので、イギリスに来た頃はまだ1歳になったばかりの娘も、あと1週間で1歳半になります。

11か月で歩き始めたものの、13か月ぐらいまでは、歩くのに疲れると、時々ハイハイになってしまったりしていましたが、いつの間にかもうハイハイは全くしなくなりました。
ハイハイをしていた頃は、あり得ないぐらいの速さでハイハイでの移動が出来たのですが(友達曰く、「虫みたい!」)、いったんしなくなってからは、速いハイハイがもう出来なくなってしまったみたいです。たまーに、こちらがハイハイをしてみるとマネするのですが、遅い遅い。大人が四つん這いで高速移動ができないのと同じです。

足が強くなり、近くの公園に行くのも、最近では乳母車に乗らずに、歩いて行けるようになりました。
歩くだけでなく、小走りも出来るし、まったく目が離せません。
アパートの階段も、上るのはかなり前からできましたが、最近は、正面から下りるのも出来るようになりました。

最近ことに体の発達が著しく、つい3日ほど前からは、大人の座る椅子に、よじ登って立ち上がるようになりました。それによって、キッチンナイフが置いてある場所だとか、洗剤が置いてある場所だとか、とんでもないところに手が届くようになってしまい、ますます、娘に触ってほしくない物の隠し場所が少なくなってきました。

そういえば6歳下の妹は、私が小学1~2年生の頃、私の机の上によじ登って、よく私のものを物色していたのを思い出します。娘も当時の妹ぐらいの年齢なので、机の上によじ登るのもきっと時間の問題・・・頭が痛くなります。さっそく昨日は、ちょっと目を離したすきに、まず、椅子から足を踏み外して、落ちて泣きました。

今日は公園に連れていったところ、手助けなしで、滑り台の階段を上り、自分ですべって下りてきました。
今までは、階段の段差が大きいので、手を添えてあげないと上れなかったし、滑るときも、その体勢にしてあげないと滑れなかったのです。
娘が遊ぶ様子を見ながら、なにやら寂しい気持ちになってしまいました。
ちょっと前までまったくの赤ちゃんで、何も一人でできなかったのに、こんなに大きくなってしまって。
まあ、嬉しいんですけどね。

もっと大きくなって、完全に幼児になってしまう前に、今まだ残っている赤ちゃんぽさを謳歌しなければ、と思って、やたらとぎゅーっとして頬っぺたにスリスリしてしまう今日この頃です。

ぶどう

あと10日で1歳半になる娘の一番の好物は、もちろんおっぱいなのですが、二番目に好きなのはぶどう!

ぶどうは生後8か月ぐらいから好きでよく食べていましたが、1歳2か月のときに日本に帰国中、「ぶどう」という言葉と実際の食べ物がリンクし、そこからは、何かと

「ぶでゅー!」
「ぶでゅぶでゅぶでゅぶでゅ!」

と連呼、ぶどうを求めるようになりました。

最近はより明瞭に

「ぶどう!」
「ぶどぶどぶどぶどぶどぶど!」

と言えるようになりました。

毎日のように、冷蔵庫に手を伸ばしては「ぶっど!ぶっど!」と叫ぶので、ぶどうを切らさないように、買い物のたびに調達しています。

まだ昼間だけ授乳しているので、やはり卒乳した同年齢の子たちに比べると、さほど食事で食べる量が多くありません。
ぶどうも、5粒~多くて15粒ぐらいしか一度に食べません。
友達に聞いたところによると、娘より2ヶ月先に生まれたお嬢さん(卒乳しています)は、ぶどうなんて一房ぺろり、だそうです。

そんなわけで、娘は食事のほうは少食なんですが、おっぱいの栄養ってばかにならないらしく、体格は同年齢の誰よりも上、って感じで、すでに13キロ。3歳児と同じぐらいです。
アメリカだと健診のたびに身長を測ってくれますが、イギリスは体重のみなので、背がどれぐらい伸びたのか不明ですが、とんでもないところにまで手が届くようになり、明らかに背がかなり高くなった気がします。
半年前ですでに80センチでしたから、85センチはゆうに超えていると思います。

さて、ぶどうと言えば、読むと必ず娘がぶどうを欲しがる本があります。

「日本のどうわ」って本なのですが、昔話がたくさん入っていて、挿絵がすべて手作りの人形の写真で出来ているというものです。
日本に帰ったときに、大学時代の親友がくれたものです。
まだ読み聞かせるには長いので難しいのですが(娘の集中力が続かない)、写真が綺麗なので気に入っていて、娘はよく一人でページをめくっています。

で、「さるかに合戦」のこのページを見ると、必ず「ぶどう!」「ぶっど!ぶっど!ぶっど!」と叫び始め、冷蔵庫に突進。

sarukani 1

「ぶどうじゃないよ、柿だよ」

と毎度教えてあげるのですが、次のページを見て、また「ぶどぶどぶどぶど!」

sarukani 2

明らかにぶどうと色が違うのに、形状でぶどうと認識しているんだなぁ。

そういえば、別の本の中でも、トマトが出てくるたびに「ぶどう!」と叫んでます。ついでにキャベツのときも・・・。

でもミカンやオレンジの絵は決してぶどうと呼ばないので、不思議です。

ルーズヴェルト・ゲーム

このところ育児の合間時間に読んでいた、池井戸潤の「ルーズヴェルト・ゲーム」読了。

昨年ドラマ化もされたのでご存じの方も多いかと思います。

池井戸潤の数々の、銀行や企業を舞台にした小説のストーリー展開は、他の追随を許さないテンポの良さ、面白さがあります。
単なる「経済小説」ではなく、人間を描いた小説が多いからだと思います。
サラリーマンの抱える苦悩、しがらみ、会社内の部署同士の覇権争い、また他企業との関係、個と全体の利益が反する場合のジレンマ。
普通の企業に勤めた経験のない私には新鮮であると同時に、何やら、サラリーマン生活を送っている友達の日常を垣間見ているような気になるのです。

「ルーズヴェルト・ゲーム」は池井戸潤の良さに、さらに野球をからめた、まるで経済小説とスポーツ小説の豪華コンビネーションのような、それでいて単なる合体ではなくて、企業の野球部という存在が、さらに企業の抱える色々な大人の事情や人間関係を炙り出すかのような働きをしていて、上質のエンターテインメント小説に仕上がっています。

社会人野球だけでなく、スポーツ選手はよく企業に属して企業の名前を背負ってプレーしているのを目にしますが、部の存続の問題というのは、直接、彼らにとっては首が繋がるか否かの問題なのですね。

タイトルのルーズヴェルト・ゲームというのはどこから来たのかというと、野球好きで知られるアメリカ大統領フランクリン・ルーズヴェルトが、1937年にニューヨーク・タイムズの記者に宛てた手紙の中で、「野球で一番おもしろいゲーム・スコアは8対7だ」と言ったことに由来するそうです。

気になったのは、ルーズヴェルトは実際、どういうふうに、どのような文脈の中でこのことを言ったのかな、ということです。

日本の本は、本当に参考文献リストがある本が少ないんですよね。
あからさまに研究書ならば、当然、参考文献リストがあるのがふつうですが、私はエッセイでも小説でも、何かを参考にしたり引用したりしたならば、参考文献リストを付けるべきだと思うのです。

さて、ルーズヴェルト大統領の言葉ですが、検索してもすぐには出てきませんでした。いくらか違うキーワードで試したのち、ようやく見つけました。

Franklin D. Roosevelt and the Shaping of American Political Culture, Volume 1 (2001)
Edited by Nancy Beck Young, William D. Pederson, Byron W. Daynes

この本の123~124ページに次のような記述があります。

(Popular biographer John) Gunther describes Roosevelt as a casual fan who liked the game "if it was a lively game full of slugging; a pitcher's duel bored him." Gunther's observation is apparently based on FDR's letter to James P. Dawson of the New York Times, which was read at the Fourteenth Annual Dinner of the New York Chapter, Baseball Writer's Association of America.

The president wrote, "When it comes to baseball I am the kind of fan who wants to get plenty of action for his money. I have some appreciation of a game which is featured by a pitcher's duel and results in a score of one to nothing. But I must confess that I get the biggest kick out of the biggest score--a game in which the batters pole the ball into the far corners of the field, the outfielders scramble and men run the bases. In short, my idea of the best game is one that guarantees the fans a combined score of not less than fifteen runs, divided about eight to seven."

大統領はニューヨークタイムズのJames P. Dawsonに宛てて書いた手紙の中で、例の「野球で一番面白い試合」について述べています。大統領はベースボール・ライターズ・アソシエーションの年一度のパーティーを欠席したので、そのパーティーの中でその手紙が読み上げられたそうです。

なるほど、野球記者を集めたディナー・パーティ向けの手紙なので、野球の話題をしたわけか。

そこで大統領はこのように書いています。

「野球について言えば、私は試合のチケットのために払っただけのお金に見合った、たくさんの動きを見たいと思うようなファンなんだ。素晴らしいピッチャー同士が互いのチームを抑え合い、1対0で終わるような試合も、いくらかは評価するけれども、私はこう言わねばならない。大量点が入るような試合が一番楽しいと。つまり、バッターがボールをフィールドの一番向こうの隅っこまで飛ばし、外野手がボールを奪い合い、スコアが入るような、そういう試合がね。端的に言えば、私が考える最高の野球の試合というものは、ファンに、少なくとも合計15点は保証するような試合だ。それも8対7に割れるようなね。」

この最後のところ、原文を読んでみると、実はルーズヴェルトは必ずしも、「8対7の試合が一番面白い」とは言っていないのです。
ルーズヴェルトは「少なくとも」(not less than)15点は欲しい、で、その点数が競り合ったものであってほしい、と言っているのです。

ということは、8対7の試合が「ルーズヴェルト・ゲーム」なのではなくて、13対12の試合も、20対19の試合も、「ルーズヴェルト・ゲーム」である、ということになります。

このことを別に小説の作者に指摘したり、ましてや批判するというようなことは、ナンセンスだと思いますが、ふと疑問に思ったことを、原本を探して読んでみる、ということは面白いな、と思いました。

さらに、上記の英文引用箇所にあるように、著名なバイオグラファーのジョン・グンターは、ルーズヴェルトの手紙を元に、ルーズヴェルトは超野球ファンなのではなくて、単なるちょっとした野球ファン、つまり時々野球を見に行くぐらいの、軽めのファンだ、と断じています。
ルーズヴェルトは野球ファンだとして知られていますが、確かに、手紙の内容を見てみると、玄人ファンとはいいがたい気がします。
実際は、素晴らしい投手同士の試合とか、緊張感にあふれ、テンポ良い試合運びで、ある種の芸術ですからね。

何はともあれ、「ルーズヴェルト・ゲーム」、池井戸作品と野球ファンの私にはとっても楽しめました!
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