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Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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ベルリンという街②

berlin


1943年11月23日のベルリン大空襲で破壊されたカイザー・ヴィルヘルム教会。
ベルリンの街を歩いていて何度も目にしました。
戦争の悲惨さを伝えるものとして、最低限の修復だけがなされて、今もそのまま残っています。
記念碑でありながら、今も記念ホールなどとして使われているそうです。

先の大戦中は、東京も大規模な空襲を受けましたが、ベルリンも例外ではなく、目を覆うばかりの惨状だったと聞きました。
ベルリンの街を歩いていると、空襲で破壊されたのがどの部分なのか、よくわかります。
モダンな建物や団地のような建物が続く中、突然、格式高い、ヨーロッパ的な煉瓦の建物などが存在するからです。戦火を免れた建物なのだとすぐに分かります。

ベルリンはモダニズムと歴史・伝統が共存する街です。
しゃれたブティックや高級ブランド店が建ち並ぶ通りがあるかと思えば、一部のベルリンの壁が今も残されているところがあったり。

ここにはベルリンの壁がかつてありました、と伝えるプレートは、ベルリンのところどころで見られます。

berlin 6

カラフルな当時の落書きもそのままの、ベルリンの壁が展示されていました。
この裏側には、ドイツ軍のユニフォームを来た(というかコスプレの)ドイツ人のイケメン兄ちゃんたちが、ドイツの国旗を手に立っていました。大学生のバイトで、お金を少しもらって一緒に写真を撮る、ということをやっているんだと言っていました。
目が真っ青で、眉毛が金髪で、いかにも戦争映画に出てきそうなお兄ちゃんたちでした。

berlin 2

かつてナチスのゲシュタポやSSの本部があったところには、トポグラフィー・オブ・テラーという、ナチスの歴史や非人道的な行為について詳細に展示した博物館があります。
英語訳もついていて、写真やドキュメントも豊富に展示してあり、読み応えがありました。
ここがベルリンで一番行って良かったと思えたところかな。

berlin 5

トポグラフィー・オブ・テラーの敷地内には、今もベルリンの壁がそのまま保存されています。

berlin 4

berlin 3

壁博物館にも行きました。ドイツが分断されていた時代、アメリカが支配していた地域にあり、西ベルリンと東ドイツの国境跡(チャーリーズ・チェックポイント)が今も残っています。

DSCF9927.jpg

ベルリンの壁が出来た背景には東西冷戦があり、ドイツの責任ではないためか、この壁博物館はかなり入場料を取られた気がします。
一方、ナチスドイツが犯した罪を展示しているトポグラフィーのほうは、入場無料です。ドイツは加害者側ですから、お金を取るわけにはいかないのでしょうね。

ベルリンの街からは、過去の過ちも悲しい歴史も、忘れてはならないこととしてすべて認めた上で、前向きに明るい未来を築いていこうというドイツ人の姿勢が感じられました。

同じく戦争の加害者側だった日本がドイツから学べることは多いように思います。
例えば東京では、戦争関連の資料館はいくつかあるのですが、戦争中・戦後の国民生活の労苦について(昭和館)だったり、戦傷病についての体験について(しょうけい館)だったり、東京大空襲の惨状について(東京大空襲・戦災資料センター)だったりして、当時の日本国民の苦しみと戦災を展示したものが主なんですよね。
あくまでも日本人がメイン。

当時の帝国陸海軍の歴史とか、軍国主義、どのように戦争に突っ走っていったのか、そして占領地で行った戦争犯罪、現地の人々の苦しみについて、きちんと資料も展示して、日本人も観光客も学べるような博物館が、首都に1つぐらいあっても良い気がします。

戦争中の過ちを認め、なぜそうなったのかを知り、そこから学べることは何か、そして未来をどう構築していくべきかを一人一人が考えられるようにしていく、という大事なことが、日本の教育からは少し抜け落ちているのではないか・・・そんなことを、ベルリンの街を歩きながら感じました。
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ベルリンという街①

先月、10日間ほど、娘を連れて初めてドイツを訪れました。

大学時代、私が第二外国語でドイツ語を選択したのも、ベルリンで修士号、博士号を取得し、その後もドイツと日本を行ったり来たりしている叔母の影響でした。
そういえば、知らず知らずのうちに、博士号を取得する目標を持つようになったのも、叔母の影響が大きかったと思います。
私は最終的に叔母のように大学教授にはなることを選ばないかもしれませんが、それでも、彼女の生き方をどこかモデルのように思ってきた部分があったように思います。

彼女には子供がいないこともあって、私は幼少の頃から、実の娘のように可愛がってもらいました。
大人になってからも、叔母とは姉妹のような関係で、何かと相談に乗ってもらったり、出産の際にはアメリカまで駆けつけてくれ、1か月の滞在中、家事や育児を手伝ってくれたり、精神的にも随分支えてもらいました。

その叔母のベルリンの住まいに遊びに行くことは長年の夢でしたが、日本からもアメリカからも近いわけではないので、なかなか叶わずにいたのです。
今回は、イギリスという、せっかく2時間の飛行距離のところにいるのだから、来年アメリカに戻る前に、是が非でもドイツに行かなければ、ということで実現しました。

ベルリンの主な観光スポットはだいたい叔母に案内してもらったのですが、交通機関が発達していて、地下鉄もバスも使いやすく、歩ける距離に色々な見どころが点在していたりと、街歩きには最適の場所だと感じました。

街を歩いていて少し驚いたのは、第二次世界大戦中ドイツと日本が同盟国だったのが関係しているのか分かりませんが、街中の色々な部分で、ドイツが日本から取り入れたと思われるところが見られたところです。

例えば、KaDeWeやカールシュタットなどのデパートに入ると、商品の種類、物のディスプレイの仕方や、照明の明るさなどが、まるで日本のデパートそっくりなのです。

日本のデパートに入ると、まず1階はシャネルやティファニーなどのブランド品や、化粧品があったり、バッグやアクセサリーがあったり、その季節ごとに売れるものがあったりしますよね。
ドイツのデパートもそういう感じで品物が並んでいて、異国ながら、異国にいるように思えないような感覚がありました。
アメリカのデパートは人気(ひとけ)がなくて、照明も暗くて、営業してるのかな?と思うようなお店もあるのですが、ドイツのデパートは煌々と電気がついていて、光で満たされており、安心感がありました。

叔母に聞いたところ、ドイツのあるデパートが、日本のあるデパート(三越だったか?)をモデルにしたのが最初で、そのあとは他のドイツのデパートもそれに倣ったのだとか。

ドイツにはかわいい文房具が色々売っていて、まあそれなりにお値段はしますが、文具売り場は見ていて飽きることがありません。
文房具の種類・機能性・色・デザインなどで、おそらく世界一ともいえるのは日本ですが(アメリカでは、日本の文房具を持っていて学校で盗まれた、などの話はよく聞きます)、ドイツもなかなかのもの。ですが、日本を参考にしたと思われるような商品もたくさんあって、ここでも、なんだか懐かしい感じがしました。

もちろん日本がドイツから刺激をされて開発しているものも多くあるとは思います(キッチン用品など。ドイツのキッチン用品は本当に凄い!)。

両国の近さを肌で感じて嬉しくなったのは、地下鉄やバスの中でもありました。
私は大学で3年間習ったドイツ語をほとんど忘れてしまって、ドイツ人の会話の内容は分からないのですが、叔母に聞いたところ、今回の滞在中、娘を連れて3人で公共交通機関に乗っていて、何度も、ドイツ人が私たちのことを「あれは何人(なにじん)か」と議論していたというのです。

東アジア人(日本人、韓国人、中国人、台湾人など)を見て、見分けがつくのは東アジア人同士だけだと思っていましたが、叔母によれば、私たちのことを話していたドイツ人、ほとんど全員が、「日本人だ」という結論に至っていたそうです。

私が今住んでいるイギリスの町には東アジア人がほとんどいないのですが、カフェで会ったインド人にはいきなり中国語で話しかけられるし(ポカンとしていたら、英語で「え、中国人じゃないの?」」だって)、信号待ちをしていたら通りすがりのベトナム人のおばさんに「ベトナム人ですか」って言われるし、アメリカでは友達に「最初会ったとき、台湾人かと思った」って言われたこともあるし、(東アジア人以外の人に)初対面で「日本人でしょ」って言われることは今まであまりなかったように思います。

(注:ベトナム人と日本人は一番よく顔が似通っているという一説があります。)

なので、ドイツ人が私たちの顔だけを見て、「日本人だ」と分かったというのは、私にとっては何だか嬉しい発見だったのです。
それだけ、日本人の顔を見慣れているということだと思うのですが、ベルリンの街に日本人がそこまで多くはないことを考えれば、日本の文化が入ってきて身近に感じてくれているのかもしれないし、テレビで日本についての番組をよくやっているのかもしれない。
(日本のフクシマの廃炉問題や放射能被曝問題についても、よくニュース番組で取り上げられていると聞きます。脱原発を早い段階で名言しているドイツならでは、そしてチェルノブイリの影響がまだ残っているドイツならでは、だと思います。)

叔母のドイツ人の親友にも何人か会って一緒に食事をしたのですが、中には、ドイツが東西に分断されていた時代、東ドイツから、日本に、技術者として招へいされ、2年間を日本で過ごしたという人もいました。
日本の観光地の話や、食べ物の話などで盛り上がりました。
食べ物といえば、ベルリンには雨後のたけのこの如く、日本料理屋がたくさん出来ていて、確かにそこらじゅうで見かけました。
一度入った日本料理屋は、お昼時だったのですが、お店がお客さんでいっぱいで、日本食の人気を感じました。

長くなってきたので、ベルリンという町その②に続きます!

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