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まめ

Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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アメリカで出産後の入院生活

3200gで生まれ、小さくてかわいい「新生児」だった娘。はや生後4週間が経ち、体重もずっしりと4700gに増え、すっかりたくましい「乳児」になりました。いっちょ前に大人顔負けのおならもげっぷもします。いや、本当におならは、音も匂いも半端なくスゴイです。さらには母乳を飲み終わったあとは、よだれを垂らしながら満腹のオッサンのような「ぐへぇぇ〜」という声も発するようになり、なんだか気づいたら二重あごになってるし。当然赤ちゃん体型でお腹もぷっくり。足も細くてすらっとしてたのに、肉肉しい太ももに。せっかく可愛いハーフで生まれたのに、ふと見せる表情と振る舞い、どでーん、と寝ている様子がオッサンか相撲取りにしか見えなくなってきてます(泣)。。。でも赤ちゃんは痩せてるより太ってるほうがいいし、自分の子は無条件に可愛いんですよね〜。


忘れないうちに、アメリカで出産したあとの短い入院生活について書いておこうと思います。


アメリカでは日本と違って、出産後は普通分娩の場合は2泊、帝王切開の場合は3泊しかさせてもらえません。健康保険がそれ以上下りないからです。この前、請求書が来ていましたが、出産とたった2泊の入院生活でも、16000ドルぐらい(160万円)かかっていました。大学の学生保険でカバーされて、私が自腹で払う分は600ドルぐらい(6万円)のようですが、保険がなかったら、大変なことになります。


出産の日をDay 0, と数え、Day 1は入院、Day 2には退院になります。つまり、私のように夜10時に出産した場合は、その次の次の日には退院になりますが、私の友人のように、その日じゅうに産まれず、次の日の朝に出産した場合は、夜12時を超えた時点でDay 0が持ち越されるため、一日長く入院できることになります。体の回復のためにはいいですが、もちろん、入院費用は跳ね上がることになります。


意識が朦朧とした中で出産し、そのまま1時間ちょっとは分娩室にいました。赤ちゃんを胸に抱いてスキンシップをするカンガルーケアをし、そのあと新生児は体重と身長を測り、体を綺麗にされて、おくるみに包まれます。下半身の麻酔が効いているので、倒れるかもしれないため、車いすで病室に移動。意識が朦朧としていて記憶違いでしたが、出産の記事のところで、赤ちゃんは病室に別々に運ばれてきた、と書いたかもしれませんが、よくよく思い返してみたら、赤ちゃんは車椅子に乗った私が抱いていたようです。


病室も個室で広々としていて、付き添い(夫)が寝られるソファベッド、机と椅子、シャワーとトイレもついていました。日本では相部屋のこともあると聞くので、アメリカはずいぶん恵まれているんですね。


病室に入った時点ですでに11時15分ぐらいだったので、出産に立ち会った夫も叔母も疲れ果てていました。私はやっと飲み食いできることが嬉しくて仕方なく、水をすごい勢いで飲み干して、叔母の作ったおにぎりを5個あっという間に平らげました。叔母は私のアパートに帰り、夫はそのまま同じ病室のソファベッドに寝ましたが、当の私は、出産を終えたことでの興奮状態、さらに赤ちゃんが気になって仕方がなく、なかなか寝つけませんでした。新生児って細くてちっちゃくてか弱くて、おくるみが口のところに来て窒息するんじゃないか、とか、よだれが口の中にあふれて窒息するんじゃないかとか、心配で仕方がありませんでした。


それでも、少しうとうとしたみたいでした。朝4時頃ふと起きると、赤ちゃんが目覚めているのが見えました。抱き上げて、すりすりして話しかけたりして、またベビーベッドに戻そうとすると、おくるみに血が!!!


どうしよう!おへそから出血!?


パニック状態で部屋の電気をつけると、ベッドの上が血の海でした。いや、赤ちゃんのベッドではなく、自分のベッドが!


赤ちゃんのおくるみについていた血は、赤ちゃんではなく、自分の血だったのです。何が起きたのか分からず、どこから出血してるのかと見回すと、左腕に刺されているIV(点滴のために入れる針)から、点滴の管が抜け落ちて、IVからドクドクと血が溢れていました。つまり、点滴の管が抜けると、血が逆流するので、出血し続けるわけです。慌ててナースコールを押し、1分ほど待つとどやどやと4人ぐらいのナースが入ってきて、プロの手際で点滴をつなぎ直し、ベッドと床を綺麗にしてくれました。


出産でもかなりの出血があったのに、IVなんかのせいでまた余計に血がなくなった!そもそも出産中はともかく、出産後の点滴は何のためなんだか全く分かりません。必要なかったのに。


・・・まあそんな大騒動もありましたが、大事に至らなくてよかったです。それより、血がピューピュー出ていたその大騒ぎの最中、ずーっと寝入っていて気付かなかった夫にもびっくりでした。ナースがすべて片づけたあと、起きだして、部屋にナースがいるのに気づき、「なに?どうしたの?」・・・余程疲れていたんだと思いますが。


入院初日の夜も、その次の日も、なんかあまり休めた感がありませんでした。というのは、ひっきりなしに色んな担当の医師やナースが入ってくるからです。アメリカの病院はものすごく細かく仕事が分担されている感じで、6時間に一回、痛みどめと便秘薬を持ってくるナース、数時間に一回の体温・血圧計測、水を持ってくるナース、産婦人科医が子宮の様子をチェックしにくる、小児科の医師が赤ちゃんを診察に来る、担当のナースが入れ替わりのたびに挨拶にやってくる、それ以外に母乳指導の担当の人、食事メニューの説明の係の人、食事を運んでくる人、清掃の係の人、退院手続きの係の人、ソーシャルセキュリティーの係の人、などなど。テレビやビデオが用意されていて、そこで育児についての役に立つ番組が放映されているから、入院中に見てください、などと言われましたが、そんな暇もなく、結局見ず仕舞いでした。でも、短い入院期間でも、退院の日の朝に、1月からずっと担当してくれて出産にも立ち会ってくれた産婦人科医の先生が、(たぶんクリニックへの出勤前に)病院に立ち寄って、様子を見に来てくれたのが有難かったです。


食事はかなりいい、とは噂に聞いていましたが、その通りでした。メニューが色々あって、その中から選択できたり、デザートもついてきたり、飲み物も選べたり。毎回完食でした。ホテルのルームサービスのようでした。


日本の出産後の入院では、母乳がよく出るようにするため、おっぱいマッサージをしてくれる助産婦がいる場合がある、と聞いたことがありますが、アメリカではそういうのは一切ありません。感覚的には、母乳で育てず、人工ミルクで育てる人も多い気がしました。私を担当してくれた産婦人科医も、「どうしても自分が母乳をあげるっていうのがピンとこなくて、ミルクで育てます、っていう人が多いんだよねー。母乳が最高の栄養なのに。」と嘆いていました。アメリカでは、乳首が腫れ上がったときに塗るラノリンのクリームをくれたり、乳首の吸わせ方を教えてくれたりはしますが、それ以外は特に何も教えてもらえませんでした。そのため、初乳(出産後数日間出る、透明から黄色っぽい液体)がいつ母乳に替わるのかとか、よく出るようにする方法とか、何もわからないまま、退院になりました。そういえばおむつの取り替え方も分からなかった気がします。


自分の母乳(初乳)がきちんと出ているのかもわからないまま、とにかく3時間に1回、15分間ぐらいは赤ちゃんに乳首を吸わせていましたが、とにかく便がたくさん出ていたので(1日10回ぐらい)、初乳はちゃんと飲んでくれていたのが分かりました。(母乳は赤ちゃんの便の出を良くするそうです。)


退院の日は朝からバタバタでした。まず、夫は仕事があったため、叔母と二人ですべて手続きをしなければならなかったので、大変でした。11時には追い出される感じで、大量の荷物(もともと持ってきた荷物に加え、ものすごい量のおむつやらお菓子やら大学病院のロゴ入りのローブやら絵本やら「おみやげ」がありました)をまとめて、車へ行き、正面玄関まで車を回して、そこでナースから赤ちゃんを受け取り、帰宅しました。私は出産後2週間は運転を禁止されていましたが、運転の苦手な叔母が、どうしても駐車場から車を出せないというので、駐車場内だけなら、ということで許可してもらいました。その日に限って叔母の体調も悪く、めまいがする状態で、帰り道も、日本と車の通行が逆のアメリカで、運転する叔母が反対車線に入りそうになって冷や冷やしましたが、無事に家に帰りつきました。


日本だったら、退院時はタクシーで帰宅するのでしょうか。アメリカでは法律で、赤ちゃんは必ずベビーシートに乗せなければならないと決まっているので、ベビーシートのついていないタクシーは使えないのです。自分の車にあらかじめベビーシートを設置しておいて、そこに赤ちゃんを乗せることになります。


それにしても、新生児ってホンットーにかわいいですよね。あれだけ痛い思いをして産んでも、また次が産みたくなる女性が多いと聞きますが、なんとなく気持ちが分かるような気がしました。痛い思いは一時的なものだから、忘れてしまうし、痛い思いをしたあとの感動は何にも代えがたいものです。

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出産レポート[その2]

前回に続きます。


陣痛促進剤による分娩、朝の5時から始まって、12時間経過して午後5時になってもまだ産まれず。陣痛間隔は3分程度、子宮口は7センチほど開いています。


午後6時


epidural(「無痛分娩」のための、背中から入れる麻酔薬)が効いており、陣痛の痛みは和らぎ、かなりラクになる。ナースに「生まれかわったみたいでしょ」と言われる。


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午後6時半


ナースが子宮口の確認をする。「子宮頸管がないわ」と言われる。つまり、子宮口が全開(10センチ)になったということ。まだ心の準備ができていないのに、「じゃあ、いきんでみましょう」と言われる。かなりのベテラン助産婦らしく、うまく音頭を取ってくれる。合わせていきんでみるが、うまくいきめない感じ。何度か繰り返す。助産婦(ナース)は7時までのシフトなので、その間に産まれたらいいわね、というようなことを言う。私も、朝の若いナースよりはこの助産婦がいる間に産みたいな、と思ったが、まったく出てくる気配はなし。


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午後7時


ナース交代。朝の若いナースが「私が戻ってくるまで赤ちゃん待っててくれたのね」と笑いながら言う。麻酔薬が切れてきたのか、陣痛の痛みが増してくる。思わず、手元のボタンを押す。15分に1回押してもいいというボタン。ボタンを押すと、背中の管を通じて、麻酔薬がさらに入る仕組みになっている。


5時半ごろから、何度も、ナースや当直の医師に「もうすぐDr. Trout(1月から診てくれている私の担当の産婦人科医)が来るからね」と言われるが、一向に現れない。


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午後7時半


若いナースのかけごえに合わせて一生懸命いきむが、赤ちゃんはまったく産道に下りてこない。いきむスタイルが、寝ている状態で、足をあげて自分の足をお腹につけるような感じで手で持っていきむのだが、麻酔薬のせいか、足がだるく重く、がくがく震えが来るほど疲れている。


そうこうするうちに、やっとDr. Trout登場。「やあ、どうだい調子は?」といつもの陽気な感じだが、こちらは陣痛の痛みと(epiduralのボタンを何度か押したが、効いていないんじゃないか、と思うほどの痛み・・・「無痛分娩」というけど、ぜったい「無痛」なんて嘘!)、陣痛のたびにいきむことによる疲弊で、意識も朦朧としてくる。麻酔のせいもあるのか、陣痛と陣痛の合間が極めて眠く、頭がぼーっとしている。陣痛が来ると痛みのために目が覚めるような感じ。


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午後7時半〜8時半


あまりに疲れているので、いきむのをやめて、陣痛がもっと頻繁にやってくるのを待つことにする。しかし、この時間がきつかった!この1時間は、陣痛が来てもいきまず流すため、痛みにひたすら耐えるのみ。陣痛と陣痛の間はほんの2分ほどしかないのに、その2分は意識が朦朧として、眠りに落ちそうになる。また、極めて激しい痛みがやってきては、夫と叔母の手をつぶさんばかりに握り締め、耐える。陣痛は、いきむことによって痛みが軽減するのか、と初めて分かる。


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午後8時半


Dr. Troutとナースが戻ってくる。「さあ、頑張りましょう」といわれ、また陣痛のたびに足を持ち上げ、いきむ。「頼む、産まれてくれー!」と思いながら、ひたすら力を入れる。ふと、痔になるんじゃないか?と不安もよぎったが、痔になってもいいや!と思えてくる。とにかく子宮口から産道へ、赤ちゃんが飛び出てくるイメージをしながら、いきむ。いきむのは、陣痛1回につき、30秒間。息継ぎは2回。30秒間のいきみのあとは、体がへとへとで、また猛烈な眠気が襲ってくる。意識は朦朧とし、自分以外のことに気が回らない。先生やナースの呼びかけにも答えられない。夫や叔母がどんな顔をしているのか分からない。叔母に聞いたところ、夫は青い心配そうな顔で、陣痛(いきみ)の間は私の背中を支え、陣痛の合間には私の手を握ったり抱っこしてくれていたそうだ。


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午後8時45分


陣痛はすでに1分半〜2分間隔。つまり、2分に一回、30秒間のいきみがやってくる。体のエネルギーはほぼ皆無。体力限界。これが、高齢出産ということか。若い妊婦なら、こういうところで頑張りがきくのかもしれない。足を上げるスタイルではまったく産まれる気配がないため、今度はバー(鉄棒)を先生が持ち出してくる。バーをベッドに設置し、今度はバーを握りながら、うんこをするスタイルで、いきむ。重力がかかるため、さっきよりはいきみやすい。15分ほど頑張るものの、まったく赤ちゃんが産道に下りる感覚はない。ただひたすら、陣痛が苦しく、いきみが苦しく、その合間は意識がなくなる、の繰り返し。もう、一生妊婦のままなんじゃないかとすら思えてくる。このまま帝王切開とかになるんだろうか?下から産むのは無理なんじゃないか?


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午後9時


再び、バーを取り外し、最初の、寝て両足を手でささえていきむスタイルになるが、今度は、手で握る取っ手が設置される。足を支えるのではなく、その取っ手を握り、力を入れるのだ。さっきよりもより強くいきめる気がした。「いいよー、その調子で!」と言われる。しばらく頑張るも、相変わらず出てこない。


もう何回いきんだことだろうか。


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午後9時半


Dr. Troutが、「それではちょっと器具の助けを借りようか」と言う。何の器具だか分からなかったが、「はい」と朦朧とした意識の中で答える。昼間のベテランナースが用意した、動くテーブルに載せられた、数々の器具が目に入る。痛いのは嫌だな・・・とぼーっと考えながら、その間にもやってくる陣痛に耐える。


先生が取り出したのは、赤ちゃんの頭を吸引する器具だった。つまり、先生は子宮口までその器具を突っ込み、手で思い切り赤ちゃんの頭を引っ張るのだ。そして、出てきやすいように、私も思い切りいきむ。「赤ちゃんはコーンヘッドになっちゃうなぁ・・・」とぼーっと考える。陣痛がやってくる。「はい、いきんで!」と言われ、両手で取っ手を握りしめながら、すごい形相でいきむ。その瞬間、何かがずぼっとお腹の中からはずれるような感覚があった。赤ちゃんが産道に下りてきた(というか下りさせられた)のが分かった。ふと自分のお腹を見ると、お腹がへっこんでいる!30秒のがむしゃらのいきみのあと、陣痛がなくても、今までのどの陣痛よりも痛かった。ものすごい大きなものが、膣の産道の中に挟まっているのだから当然だ。苦痛に顔がゆがむ。必死で夫の手を握り締める。自然にうめきが漏れ、息遣いがはっ、はっ、はっ、っと荒くなる。もういきまずにはいられない感じになる。


「陣痛が来る前にもういきんでるね。それじゃあ、いってみよう」と先生が言う。これが最後のいきみになるような気がした。思い切りいきむ。骨盤が壊れたかもしれない。数十秒のいきみのあと、ばしゃーっという、何か大量の液体が流れ出る音とともに、赤ちゃんの産声がした。「おぎゃー!」あれ、本当に産声って「おぎゃー」なんだな・・・とぼーっと考える。先生が、「女の子だよ!」と言う。午後9時57分、やっと、17時間に及ぶ分娩・出産が終わった。


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この時、私はまったく気付かなかったが、叔母に聞いた話では、最後、吸引器具を使うときに、ナースが電話をかけ、ほどなくして、5〜6人のスタッフが部屋に入ってきたのだそうだ。すごい勢いで、赤ちゃんを取り上げる係、赤ちゃんを洗う係、赤ちゃんの重さを量る係など、一人一人が持ち場についたのだそうだ。


赤ちゃんのおへそからは、想像よりずっとぶっといへその緒が出ていた。アメリカでは父親がへその緒を切るのが普通のため、夫がはさみを渡され、それを切った。ロープみたいに太く強く、切るのは予想以上に力が要ったそうだ。続いて、まだ血のついた赤ちゃんが、真っ赤な顔をして私の前に現れた。胸に赤ちゃんを抱く。「やっと会えたね!産まれてくれてありがとう!」という気持ちでいっぱいだった。思っていたよりずっと小さな体で、必死で私の胸にしがみついていた。無意識に、五体満足なのを確認して、ほっとする。目が開いている。なんだか妹が赤ちゃんだったときに顔が似ているな、と思った。妹を産んだような気分になる。とってもかわいい。


赤ちゃんが産まれてすぐに、胎盤も出てきた。痛みは全くない。陣痛ももう起こらなかった。赤ちゃんの顔を見つめて、ぼーっとしていると、何か下のほうで、違和感を感じた。なんかちくちくするな・・・何だろう?


ふと目をやると、先生がなにやら忙しそうにしていた。あ、私、裂けたんだ・・・だから縫ってるんだ・・・。


日本では裂ける前に切って、縫うらしいが、アメリカでは、自然に裂けたのを縫うほうがいい、とする説があるらしい。産婦人科の診察のときに、一度聞いてみたが、「オハイオ州立大病院ではほとんど切らないよ。裂けるのを縫うんだよ」と言っていた。


「ひどく裂けてますか?」と聞くと、先生は「いやいや、普通だよ」と言う。


赤ちゃんは体重測定をし、綺麗に体を洗われて、新生児室に検査のため連れて行かれた。7ポンド1オンス。(3200グラム。)身長は52.5センチ。超音波で見たとおり、手足の長い子だった。妊娠中はかなりお腹が大きかったし甘いものもたくさん食べたため、4キロぐらいの巨大児だったらどうしようと思ったが、普通のサイズでほっとした。


先生に、胎盤を見せてほしいと頼んだ。容器に入れられていたものを取り出して見せてくれる。びっくりするほど大きかった。へその緒も青くとぐろを巻いているような感じで。妊娠中、ずっと赤ちゃんの子守りをしてくれていたんだね、ありがとう、と胎盤に不思議な感情が沸いてきた。


分娩・出産室から病室への移動前、トイレに行き、ナースに下の縫い目のケアの仕方を教えてもらう。まず、温水で患部を洗い、痛みを和らげるスプレーをかけ、使い捨てのパンツに分厚いパッドを敷き、さらに冷やすためのでっかいパッドを置き、その上にwitch hazelのパッド(これも冷やすため)を敷き詰めたものを着用する。トイレで用を足すように言われ、やってみるが、麻酔のため、まったく尿が出せない。目を便器の中にやってみると、おびただしい血が見える。ナースに「びっくりしないでね」と言われる。出産ですごい量の血がなくなったんだろうなあ。いきんでいる間も、ずっと出血し続けていたというし。


続いて、車椅子で、病室に移動する。叔母と夫も一緒に移動。やっぱり、出産はサポーターがいてくれないと乗り切れるものじゃないなぁと実感する。部屋に着くと、猛烈な空腹感と喉の渇きを感じ、一気に水と叔母のお弁当を平らげる。


赤ちゃんがおくるみに包まれて、病室に連れて来られる。静かに眠っている。小さくてかわいい!


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家族・友人が安産祈願をしてくれていたのですが、5時間ぐらいですぽーん、と産む、というわけにはいきませんでした。難産の部類に入るかと思いますが、でも無事に赤ちゃんが産まれて本当に良かったです。終わりよければすべてよし。All's well that ends well.


入院の様子は次に続きます。


 

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