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Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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小さな国際親善交流

シカゴでの全米応用言語学学会(American Association of Applied Linguistics)でのプレゼンを終えて帰ってきた。これだけ大規模な学会に参加したのは初めてで、とても有意義な経験が出来た。各国からの著名な研究者が集まり、実際に言葉を交わすことが出来た人はわずかだとしても、素晴らしいプレゼンテーションを聞くことが出来たり、新たな視点を得たり、また東日本大震災が起きたことによって、声をかけてくれた他国の人々との小さな国際親善交流が出来たことも大きな成果だった。


アメリカのテキサス州立大とインディアナ州立大で博士号を取って、台湾の大学で教授になった二名の研究者(台湾人)とランチを一緒にした日。話題がやはり地震と津波の被害の話になった。


こちらから、日本の人たちが台湾の人々のあたたかい気持ちに大変感謝していることを直接伝えることが出来て嬉しかった。芸能人も一般人も、一丸となって日本のためにものすごい額の義捐金を一生懸命集めてくれたことは、日本でも伝わっているが、彼らは「2年前の台風による大被害のときには日本がものすごい速さで多額の義捐金を送ってくれたことを台湾人は決して忘れていない。今回は自分達の番だから。」と言っていた。さらに、「日本は台湾との友好関係をこれからも大事にしていかなければならないと再認識しています」と伝えると、彼ら二人とも口を揃えて、「台湾人は皆、日本を親友だと思っていますから」と言っていた。


小さな国際親善交流はこれだけではない。


今朝、仕事に行くために車を運転していると、なんとキャンパスの真ん中で車が動かなくなってしまった。エンジンをかけ直すと、エンジンはかかるのだが、シフトをDに入れると、ぷすん、と音を立てて止まってしまう、という奇妙な状態になり、立ち往生すること10分。ここは諦めてレッカー車を呼ぶことにするも、最後にもう一度エンジンをかけ直し、DではなくRに入れてみる。すると、エンジンはちゃんと動いている。これはいけるかも、と思い、おそるおそるDに入れると、そのまま動いている。しめた、と思い、そのまま仕事に行かずにホンダに行った。車を置いて、シャトルで家に戻り、数時間後にホンダから修理が済んだと連絡があったので、またシャトルを呼ぶ。エンジンのmap sensor (Manifold Absolute Pressure sensor)という部分が反応しなくなっていたために起こった障害だったが、特に交換の必要もないということだった。


小さな国際交流は車を取りに再びホンダに向かうシャトルの中で起こった。運転手のお兄ちゃんと会話をしていると、話題が自然と日本の地震の話になった。彼の友人の従兄弟がカリフォルニアに基地を置く米軍に所属しており、今回の地震のあと、救援活動のため、日本に派遣されたということだった。そこから福島の原発の話や、東京の水騒動の話になり、はたまた日本酒の話にまでなったのだが、彼に、いかに米軍が今回の救援活動と復興支援で大きな役割を果たしているか、いかに日本の人たちが感謝をしているかを伝えると、「助けに向かうのは当たり前だろ。こんなことが起こったんだから。自分だって出来ることなら、シャトルの運転なんてしていないで、日本に行きたかったさ」という言葉をくれた。


こんな小さな国際交流の積み重ねが、世界中いろんな国で行われば、戦争も、歴史がもたらす憎悪も、無くなっていくような気がした。アメリカにいれば、日本人を快く思わない韓国人がいたり、中国人とは絶対に友達にならない台湾人がいたり、白人をあからさまに嫌悪する黒人に出会ったりする。しかしそのほとんどが、個人レベルで付き合いをすることなしに、偏見と固定概念に満ちた視点でしか相手を見られないことに起因している。自分が作り出している心の壁を越えて、相手に感謝の意を伝えたり、会話をしてみようと思うことは勇気がいることかもしれないが、多くの人がそれをすることが出来たとき、何かが大きく変わるのではないかと思う。

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なぜ日本人の英語のプレゼンは下手なのか

シカゴでの全米応用言語学学会2日目。


ホテルの部屋が空調をつけても寒く、またしてもあまり熟睡できぬまま朝になった。8時15分からのセッションに出席しようかと思っていたが、部屋にドライヤーがついていなかったため、濡れた髪で外出するのがはばかられ(何しろ気温が零下5度である)、結局朝3番目のセッションからの出席になった。一度にセッションは20ほど行われており、参加者はそれぞれの時間帯で興味のあるテーマの発表を聞きにいくという形である。高校で行われる文化祭のクラスごとの出し物みたいな感じである。


今日は午前・午後といくつかのプレゼンを聞く中に、日本人のプレゼン、他のアジア人のプレゼン、そして英語のネイティブスピーカーのプレゼンがあった。特に比較しようと思ってはいなかったが、日本人のプレゼンの下手さにはがっくりした。彼らの中には、日本の大学に所属していて、学会発表をしにアメリカに来ている人もいるが、大多数はアメリカの大学院の博士課程に留学している学生か、アメリカの大学で教鞭をとっている日本人である。もちろん、中にはかなり若い時からアメリカに来ていて、ほぼアメリカ人化した日本人もおり、プレゼンの上手な人もいるのだと思う。


しかし、あ、日本人のプレゼンだ思って聞いてみると、まあ、アメリカの博士課程に在籍している学生であろうと、アメリカの大学の教授であろうと、揃ってプレゼンが下手なのだ。多少のアクセントについて言っているのではない。相手に伝わる英語でさえあれば、英語に母語の影響によるアクセントがあるのは別に問題視されない。それこそ、文化・エスニシティーのアイデンティティの表れと理解される場合も多い。ここで言っているのは、日本人が、英語の上手い下手に関わらず、説明が要領を得ない、アイコンタクトが取れない、同じことを違う言い方で繰り返す(冗長)、原稿を読んでいる、20分間のプレゼンに強弱がなく、すべて同じ調子の口調で説明が進むため、眠気を誘う、英語がつっかえる(文がブツ切れになる)、といった特徴を持っているため、プレゼンが異常に下手に見える(聞こえる)という事実である。


考えてみると、これらの特徴は、何も日本人が英語を話しているときに限らないことに気づいた。そういえば、日本で以前勤めていた学校には、こんな特徴で下手な日本語のプレゼンをする校長、教頭、教員など、わんさか居たのだった。何を言いたいのか伝わってこない、思いも伝わってこない、眠くなる・・・


一方、英語話者のスピーチ、プレゼンは、(少数の例外を除いて)、概して上手い。話が的を得ている。アイコンタクトをしっかり取り、パワーポイントを読みあげるだけのプレゼンではなく、こちらに訴えかけてくるものがある。口調をときには変え、声量も上げたり下げたり、聴衆も引き込んだインタラクティブなプレゼンをする人も多い。それが、フツウの、どこにでもいそうな、特に頭がいいというわけではなく、本当に一般のアメリカ人も、プレゼンが上手い。


ネイティブスピーカーでなくても、例えばメキシコ人なども上手い。彼らの英語は完全にスペイン語訛りが残っている。つっかえることもある。それでも、引き込まれてしまう何かがある。


これは決して遺伝などではなく、教育によるもののような気がする。アメリカ人は小学校から、自分をどう表現するかを学校で教えてもらう機会がたくさんある。プレゼン、ディスカッションなど、周りとインタラクティブな交流をしながらの学びの機会が多くある。それに比べ、日本の学校は、ほとんどの時間を教師から生徒への一方通行の講義形式の授業に費やしており、仮にプレゼンやディスカッションの機会があっても、それは一部のおしゃべりな生徒がしゃしゃり出てくる時間でしかなかったり、自分をどう表現するかという観点から指導されていなかったりする。言葉の話し方、伝え方について学ぶ機会はない。その結果、プレゼンの仕方をまともに習ったことのない日本人が作られる(私も、きちんと指導されたことはない。周囲のアメリカ人を見て学んだ。)


韓国人もプレゼンの下手な人が多いが、中国人や台湾人は英語のプレゼンを結構うまくこなしてしまう人が多い(英語が下手でも)。


明日は3日目。一人ぐらい英語のプレゼンのめちゃくちゃ上手い日本製の日本人、に会ってみたいものだ。

シカゴでの学会参加

American Association for Applied Linguistics (AAAL)は毎年1回、3月にアメリカの都市で開かれる、全米応用言語学学会である。


今年はプレゼンターとして自分のリサーチを発表するため、シカゴにやってきた。シカゴは何度か訪れているが、一人旅は11年ぶりだ。修士留学でボストンに来た時、ちょうど飛行機の乗り換えもあることだし、一度もシカゴに行ったことはなかったので、3泊したのだった。一人で動物園をのんびり歩いたり、ミシガンアベニューを歩いたり、博物館を見学したりしたことを思い出す。


まだ暗いうちに車を走らせ空港へ行く。コロンバスを朝6時発の飛行機に乗り、時差の関係でシカゴに着くとまだ6時。飛行時間は1時間、時差も1時間である。機内は割と席が埋まっていたが、ターンテーブルに出てきた荷物は何と自分のだけ。大きさが微妙で、機内には持ち込めないサイズなので仕方ない。しかし、国内便は荷物1つにつき25ドル取られるので、アメリカ人はこんなところでも節約に励んでいるのだなぁと思った。


ターンテーブルの前にスターバックスがあり、サンドイッチを通常の3割り増しぐらいの値段で売っている。シカゴのダウンタウンまでは1時間弱、電車に乗らねばならないので、高いがサンドイッチとコーヒーを買う。テレビの画面には日本の福島原発がうつしだされている。放射性物質が空気に乗って流れていく量は減ったものの、水の中に含まれている量が増加しているので、人々の関心が水の安全に移っている、と報道されている。東京の友人の話では、スーパーに行ってもペットボトルの水が売り切れていて、全く手に入らないということだから、本当に大変なことだ。いくら体にすぐには害がないとはいえ、体に良いわけがないし、煮沸したところで放射性物質は消えないし、かといって水を飲まないわけにもいかない。料理にも使うし、米も炊けない。


シカゴのダウンタウンに降り立つと、そこは真冬の寒さだった。コロンバスはだいぶ春めいてきていたので、手袋もマフラーも持ってきていない。冬用のコートは着ているが、厳冬期用のダウンコートではない。震えながら荷物を引っ張り、10分ほど歩いてホテルに到着。向かいにはトランプタワーが見える。シカゴの建造物はいつ見ても壮観だ。一つ一つが芸術的で、青空と川面が美しいコントラストを作り出している。


ホテルはこじんまりとして清潔。しかも、ペットボトルの水がいくら飲んでも無料という。東京でなかなか水が手に入らないで困っている人たちのことを思い、申し訳ない気持ちになる。


まだ朝8時。学会の会場に移動。シカゴのシェラトンホテルである。20ほどの会場でプレゼンが行われている。パワーポイントの使い方、プレゼンの仕方も様々で勉強になった。日本の学会のように、ペーパーをただ棒読みしているだけの人は皆無であろうと思っていたら、1人だけ見つけた。しかも、かなり著名な研究者である。彼女の論文は2本ほど読んだことがあるので、実物を見て感慨深かった。昼近くまでは頑張って聞いていたが、何しろ一睡もせずに飛行機に乗っているので、眠気と疲れが体にのしかかってくるようだった。ぼーっとして頭が回らないようで、ふらふらと男性用のバスルームに入ってしまう始末。午後の学会は今日はあきらめ、ホテルで休むことにした。明日はまた朝8時から学会。明日にそなえて早めに寝るとしよう。


 


アメリカにもある「天罰」発言

昨日は東日本大震災についての記事の中で、某都知事の「津波は天罰」発言についても述べた。


同じ類の発言は、実は日本に限った話ではない。オバマ大統領の日本支援策や在日米軍およびアメリカからやってきた救援隊の働きを見ていると、信じがたいことかもしれないが、アメリカにも、「地震と津波は日本への天罰」発言があることについて触れておきたいと思う。


もちろんこれは、某都知事の、地方自治体の長としても人間としても許しがたい暴言を、擁護するものでは全くない。同類の発言を外国の一般市民が行うことと、天災を受けた国の、影響力のある政治家が行うことは同列には論ずることは出来ない。


さて、それではどのようなアメリカ人が「地震と津波は日本への天罰」と公言して憚らないのか。


1.「シー・シェパード」の支持者


この団体は、言わずと知れた、動物愛護の名のもとに、日本の捕鯨船を執拗に追い回し化学薬品や火炎瓶等を投げ込み、捕鯨船の乗組員の命を危険に陥れている、国際テロリスト団体である。シー・シェパードについては当ブログでも記事にしているので、こちらをお読みいただきたい。


 →「シー・シェパードをフェースブックで考える」1


 →「シー・シェパードをフェースブックで考える」2


 →「シー・シェパードをフェースブックで考える」3


シー・シェパードの支持者が大幅に増えた一つのきっかけとしては、2010年に公開された和歌山県太地町(古式捕鯨の発祥地と言われている)のイルカ漁についてのドキュメンタリー映画「The Cove」がある。この映画を作ったのはまさにシー・シェパードでもあるのだが、これを見た欧米人は、「あんなかわいいイルカちゃんを大量殺戮するなんて、日本人てなんて残酷なんだ」と思っちゃったわけである。


よって、この映画をきっかけに、あるいはその前から、シー・シェパードの本当の姿(動物愛護の名を借りた資金集め・化学薬品を海に投棄して環境破壊・人命を屁とも思わないテロリスト)を知らない、無知で無教養なアメリカ人の一部は、シー・シェパードを支持するグループをたくさん作っているのである。


今回の東日本大震災が起こってからというもの、フェースブックで問題になっているのが、「クジラやイルカを殺している日本人への天罰が下った!」という論調の(フェースブック上の)グループである。良識あるアメリカ人は「これはとんでもないことだ、恥を知れ」と糾弾しているが、残念ながら、そうではない人もたくさんいるようなのである。このようなグループの一つには、3日前の時点で、350人ぐらいの支持者がついていた。もちろん私は、これが特定の民族に対する憎悪を表した差別的グループであるとして、フェースブックに違反報告をした。


2.日本が真珠湾攻撃をしたことへの天罰だと考える人々


さらに、同様に問題になっているのが、パール・ハーバーを不意打ち攻撃し2500人ものアメリカ人を殺した日本へのうらみつらみを未だに根強く持っているアメリカ人(の一部)である。このこと自体が、いかにパール・ハーバーがアメリカ人の心に傷を残したかを物語っているのだが、原爆投下をもって、そのうらみを何百万倍にもして返したのがアメリカではなかったか。全く、何を言ってるのかと思う。しかし、このような輩(やから)は、「日本は、パール・ハーバーで犯したカルマによって、神から罰せられたのだ。だから地震・津波がやってきてたくさんの人が死んだのだ」などと公言している。


私のアメリカ人の友人に、日本人とのハーフがいる。彼のお父さんは日本人なのだが、日本語ができないらしい。しかし彼は大学に入ってから、自らのルーツである日本をよく知るために、日本語の勉強を始めた。昨年は日本のある大学にも留学して日本語を学んでいた。彼はフェースブックでこのように述べていた。


「日本で起きた津波や地震がパールハーバーによるカルマによってもたらされた天罰だと考えている無教養な人は、僕を友達リストから削除してほしい。おごりたかぶりもいいところだ。あなた方ほど僕はフェースブックの友情を重視していないし、そもそも、あなた方とは僕ははじめから、友達なんかじゃなかったんだ」(原文は英語)


穏やかな彼にここまで言わせたということは、このように考えている人が少なからずいるということだろう。彼のこの発言には、「Like(いいね!)」ボタンがたくさん押されていた。私も押しといた。


それにしても原発の問題が気になる。燃料冷却のために放水をしていることは伝わっているが、その結果どのような状況なのか、ネット上にもあまり詳しい最新の情報がない。放射線量が多いため、人が近づけず、あまり状況が分かっていないのではないだろうか。不安だ。

東日本大震災−アメリカから思うこと

3月11日に東北地方を中心とした東日本を襲った、かつてないほどの大規模の地震と津波から、1週間が経とうとしている。


いまだに災害の全貌は不明、孤立して救助を待つ人々も多数、一体どれぐらいの死者が出たのかも不明、その間に避難所で亡くなる人もあり、福島原発の事故もこれからどうなるのか先が見えず、東京湾岸部の液状化も改善されず、停電や日用品・食品の品薄による混乱も収拾がついておらず、大変な状況である。あらためて、今回の大災害のスケール・被害の大きさを感じつつ、遠方から何も手助けできないまま、固唾を飲んで見守っているだけの日々である。出来るものならアメリカから大量におにぎりを握って東北に持って行きたいぐらいである。


地震と津波が襲った日(アメリカは深夜)。その翌日にcandidacy examのオーラルディフェンスを控え、緊張していたのかなかなか寝付かれずにいた。朝4時頃、開いたパソコンに映し出されていたのは、車も建物も船も、何もかも津波の濁流に飲み込まれていく、仙台の映像であった。目を疑いながら、ニュースサイトで情報を収集し、家族の無事を願った。当時電話もつながらず、携帯にも連絡はつかない。メールをくれた母の無事は確認できたが、それ以外の家族の安否は分からない。東北が震源であるにしても、東京がどのぐらいの被害であったのか、全く分からない。


その後ますます寝付かれず、不安のまま朝になってしまったのは言うまでもない。おそらく2〜3時間ぐらいしか眠れなかったのではないかと思う。昼近くになって、また日本の家族に連絡をしてみる。ニュースをチェックする。しかしもうオーラルディフェンスに出かけなければならない。その準備をしなければいけないときに、なぜかトイレが詰まる。蓋を開けて変なところを引っ張ってみると、さらに水が便器外にあふれ出してきた。不謹慎ながらも、津波がここまで来たような気分に一瞬なる。


ここは2階なので、1階の住民のところに水が行っては大変だと思い、時間のない中、とりあえず大量のペーパータオルでバスルームの床を拭く。相変わらずトイレは詰まったままで、水は溢れる寸前のところまで来ている。床の消毒は後回しにし、大学で出かけたのだった。


この1週間、状況はあまり大きく変わっていないのが驚愕だ。何となくだが、地震が起きて3日もすれば、被災地は別として、東京などはかなり通常の生活が出来るぐらいになるのではないかと思っていた。ところが、電車のダイヤは乱れっぱなし、計画停電による不便も続いており、スーパーの買占め問題やら、福島の原発の状況など、一向に収束に向かう気配がない。


中でも原発の問題はアメリカでも大きく報道されている。諸外国は自国民を日本から次々に退避させているようだ。これは当然のことだろう。放射能が、健康に問題の出るレベルではないにしても、東京でも検出されているのである。色々調べてみると、放射線よりも、放射性物質が危険らしい。これはもちろん目に見えず、吸い込んだり食べてしまったりすると、体内でずっと放射能を出し続け、癌を引き起こすとのことである。あと2ヶ月ちょっとで日本に一時帰国する予定であるが、その頃にはおさまっているのだろうか。それとももう少しこちらにいたほうがいいのだろうか。


オハイオ州立大からは毎年、筑波、早稲田、南山、天理、ICUなどの各大学に留学生を送っているが、その生徒たちには、明日までにアメリカに帰国することを決めれば、航空券代を大学が払うと通知したそうである(天理に留学している友人談)。その友人はあと1週間ぐらい待ってもらえないかと大学にお願いする予定だそうだ。しかし天理は奈良だから、さすがにそれは帰国する必要はないのではないかと感じるが。筑波はちょっと福島から近いから、不安ならアメリカに帰ったほうがいいかもしれない。


原発の事故に関して、今まで政府は冷静で落ち着いた対応をしてきていると私は評価しているが、東京電力は何か情報を隠蔽しているのではないかという気もしなくはない。日本国民はみな、本当のことを知りたいと思っている。いや、もしかして、政府も東電も何も隠蔽はしていないのかもしれないが、諸外国で報道されている内容を聞くと、不安になってくる。チェルノブイリの事故の一歩手前ぐらいまで行っており、部分的なメルトダウンは生じていて、燃料の冷却が出来ていないのに、作業員の数を減らし、多大な被曝を避けるために退避させている。このことが、諸外国には、もう諦めているのではないか、どうしようもないほど深刻なのではないか、ものすごい放射能がもう撒き散らされているのではないか、という憶測を生むのである。さらに、福島原発から100キロも離れたところにいたヘリに乗っていた米軍兵士から放射能が検出された、というのも、日本政府の「20キロ圏内は別の場所に避難、30キロ圏内は屋内退避」という勧告が、かなり放射能汚染を低く見積もっているのではないか、必要十分な措置ではないのではないか、と考える根拠になっている。


私が中1の時に読んだ衝撃的な本があった。チェルノブイリ原発事故の取材で知られる、ジャーナリスト広瀬隆という人の著作「東京に原発を」である。それほど政府が原発が安全だというなら、首都東京に作ればいいではないか、それを何故作らないかというと、原発が本当は危険だからである、という主旨の本であったと思う。その後彼の著作を読むこともなかったが、このたび、また彼の文章をウェブサイトで目にすることとなった。福島原発事故が起こってから寄稿された文章である。


破局は避けられるか―福島原発事故の真相」(ダイヤモンドオンライン)」


是非、多くの人に読んでもらいたいと思う。ここに書いてあることがおそらく真実なのではないかと思う。彼自身の長年の原発に関する詳細な知識、経験に基づいた文章である。しかも彼は昨年2010年に出版した「原子炉時限爆弾」で、大地震が起こると原発はどうなるか、ということをシミュレーションしているのだが、実際に同じことが福島原発で起こってしまっている。彼自身も、彼の予想がはずれることを願っている、と締めくくっているが、老朽化した原発が何でここまで使われ続けていたのだろう。もし最悪のシナリオが本当になってしまったら、それは天災ではなく人災ということになる。何とか完全なメルトダウンの状況を避けられるように、国は総力を結集して、問題解決に当たってもらいたい。頑張っているのは分かっているが、フツウの頑張りでは許されない。どの国の専門家の力を借りてもいい。何としても、東日本の破滅だけはストップさせなければならない。


地震と津波のあと、数多くの国々・団体から支援の申し出をもらったことは本当に涙が出るほど有難いことだと思う。オバマ大統領の数回に渡る「支援を惜しまない」というコメントだけで、どれだけの日本人が救われた気持ちになっていることかと思う。こういう政治家が日本にもいればいいのに、と毎度のごとく思うが、それは置いておいて、中にはとんでもない日本の政治家の発言も表に出てきている。


某東京都知事、石原慎太郎の「地震と津波は天罰」発言である。まったく酷いもいいところである。あとで謝罪したからといって到底許せるレベルの言葉ではない。まったくもってfuckである。以下、毎日新聞のサイトより引用↓


「東京都の石原慎太郎知事は14日、東日本大震災に関連し「我欲に縛られ政治もポピュリズムでやっている。それが一気に押し流されて、この津波をうまく利用 してだね、我欲を一回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心のあかをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々、かわいそうですよ」と発言し た。蓮舫節電啓発担当相から節電への協力要請を東京都内で受けた後、記者団に語った。多くの犠牲者が出ている災害を「天罰」と表現したことが、被災者や国 民の神経を逆なでするのは確実だ。」


どのような真意があろうとも、一地方自治体の長としてあってはならない発言である。しかし、これを読んだ途端に彼に失望した、という人は少ないのではないか。この石原慎太郎という奴は、一体今まで何回、差別発言・不適切発言を行ったか、数えきれないほどである。記憶に新しいところでは、同性愛者への差別発言があった。同性愛者に対して、「どっか足りない気がする。遺伝のせいでしょう」と言い放ったのである。


どっか足りないのはお前のほうだ!


上記の「天罰」発言を聞いたとき、私は、やっぱりね、という気持ちであった。これがこいつの本性だよ、こいつを礼賛するねとウヨ(ネット社会にはびこる右翼)もいい加減気づけよ。しょせん石原は他人の痛みなど分からないのである。今まで恵まれて生活してきたせいだろう。それが老人になって、自分の発言が相手をどういう気持ちにさせるかという想像力まで失ってきている。これはもう老害である。4選出馬を決めているそうだが、そろそろ引退されてはどうか。アメリカ大統領だって3選禁止である。それがなぜかは自明だろう。真の民主主義を守るために、次の都知事は別の人がなるべきである。


長くなったが、これからも日々、震災後の状況はつぶさにチェックしていくつもりである。一日も早い復興を願い、信じている。アメリカにいる友人、知人はみな、お悔やみの言葉をかけてくれている。こんなときだから、政権批判は後回しにし、政府を支えながら、一人ひとりが協力してがんばらないといけないと思う。某、政治家として残念ながら人格が欠けているといわざるを得ない都知事は別にして、多くの一般市民は、こんなときなのに思いやりの気持ちやマナーを忘れていないのが、今後日本が進む道に照らし出されている、一筋の希望の光である。

Doctoral Candidacy Exam 合格!

3月11日金曜日、Candidacy examのオーラル・ディフェンス(口頭試問)に無事合格し、晴れて"Ph.D. Candidate"になりました


昨年6月から準備を重ね、今年の1月から2月下旬まで、135ページに渡る論文を書いて、その2週間後のオーラル・ディフェンス。長い試験でしたが、努力の甲斐がありました。


試験提出から1週間ぐらいは何もやる気がおきず、24のシーズン8をNetflixで見たり、ただリラックスしている日々でしたが、オーラルの5日前ぐらいになってようやく焦り始め、自分の論文をひたすら読んで、オーラルで何を聞かれてもいいように準備していました。


それでも前日はなかなか眠れず、さらに午前4時頃に、日本で巨大地震が起こったことを知って、津波が日本のどこかの都市を飲み込んでいる映像までネットで見てしまい、余計眠れなくなる始末。日本にいる母からはメールがあったものの、他の家族からは無事の一報がなく、不安でオーラルどころではありませんでした。


311はラッキーナンバーなのでこの日をオーラルに選んだのですが、なんでこの日に限ってこんな大地震が日本で起きてしまったんだろう、と信じられない思いでした。


朝になり、日本での被害状況の様子をネットのニュースで知り、亡くなった方々のこと、家族のことなど、色々な思いが巡りながら、オーラルに向かいました。


オーラル・ディフェンスは2時間の口頭試験で、一室に4人の教授が集まり、試験の論文内容について色々聞かれるというものです。大方の教授は、質問を投げかける合間にも、私が書いた論文内容についてたくさんの称賛を口にしていたので、ほっとする一方、さまざまな難問に答えながら、時間は過ぎていきました。終わりごろになって、部屋を出るように言われ、外で待っている間に、合格か不合格かの審判がなされます。これは4人の教授が全会一致でなければならず、一人でも、反対する人がいれば、合格にはなりません。


そして再び部屋に呼ばれ、見渡すと、4人の教授が起立しており、「congratulations!」と口々に祝いの言葉を述べながら、一人ずつ握手をしてくれました。感動の一瞬です。


ここまで来るのに、本当に家族、友人など、多くの人に支えられてきました。本当にありがとうございました。


これで博士課程の道は半分ぐらいまで来たところです。博士号を取った友人たちは、いやいや、ここからが大変なんだよ、と言いますが、今はとりあえずしばらく休みたい気分です。


あー本当に良かった


 


日本人にとって最も発音が難しい英単語とは?

周知の通り、日本語は英語から見て、アラビア語と並び最もかけ離れた言語の一つです。統語的に見ても、文法的に見ても、音韻的にも、形態論的に見ても、これだけ何から何まで違う言語もないと思います。


だから、日本人が英語を学ぶのも英語話者が日本語を学ぶのも、同様に大変なのですが、強いていえば、音韻的には、英語話者が日本語を学ぶ方がハードルははるかに低いです。日本語には母音が5つしかないですが、英語には14とも16とも言われています(文献によって異なる)。


日本語にあって英語に存在しない音、というのはもちろんあります。たとえば、ラ行の音、ラリルレロを発音するとき、flapping soundと言われる音を出すのですが、これは英語のLでもRでもない。どちらに近いかといえばLですが、ローマ字表記ではRA, RI, RU, RE, ROであって、LA, LI, LU, LE, LOでないのが面白いですよね。他に、「ん」の発音が、その前後につく音によっては難しくなる。例えば、「雰囲気」はローマ字表記ではfunikiとなるため、アメリカ人の日本語学習者は「ふにき」と発音してしまう。さらには、イントネーションの区別(「橋」と「端」と「箸」)、長音と単音の区別(「意地」と「イージー」)、連濁音(単語が二つ以上連なったときに後ろが濁音になること:例えば「靴」と「箱」で「くつばこ」と濁る)が彼らが苦労する点の代表格です。


とはいえ、日本語学習者が音の発音そのものに苦労することはほぼないと言ってよいでしょう。一度覚えてしまえば、50音を見たとおりに発音すれば良いので、音韻的には彼らにとって大変な言語ではないのです。ラ行の音をLで代用したところで、意味的に問題が生じるわけでもないしね。


逆に英語にあって日本語に存在しない音は山ほどあります。日本人はじめ、アジア人にとって苦難となるのはLとRの発音と聞き取りであるというのは、日本人にも英語話者にもよく知られた事実です。日本人や韓国人をからかうときに、わざとLとRを逆に入れ替えて発音したり(そしてそれを聞いた日本人や韓国人は違いが聞き取れない)という、日本人からしたら笑えないジョークは、軽い意味あいのものから、蔑視的なものまで、TV番組や映画、アニメーション、You Tubeのビデオなど、至るところで使われています。


例えば、"America, fuck yea!"でお馴染みの、2004年のアニメーション映画「Team America: World Police」の中で、友達のいないキム・ジョンイルが哀れっぽい声で"I'm so ronery~ so ronery~"(本当はもちろんlonely)と歌うシーンなど、アメリカ人は大爆笑です。


さて、それではLとRの発音が、日本人にとって最も難しい英語の発音なのでしょうか。


答えは×。それではTHの発音?thrall, length, the, など、確かに、日本人にとっては練習が必要です。thにてこずるのは日本人だけではないですよ。グルジア人の英語話者だって、グルジア語にはthの発音がないため、thinkがsink(沈む)やtink(?)になってしまいます。でも最も難しい音に比べれば、Thの音はかなり単純明快なほうだと言えます。


それではmagicのgとmusicのsの区別?日本語だとどちらも「ジ」。これもウルトラB級程度の難易度でしょう。


実は、英語で最も難しい音は、日本の英語の先生にも認識されていないほどのものなのです。おそらく、日本の英語の先生でも区別して発音したり聞き取ったりできる人はごく僅かだと思われます。それは、以下の単語の第一音節の発音です。


yeast (酵母)


year (年)


yeehaw (ヤッホー!)=カウボーイの掛け声


さあ、どうでしょう?一見簡単に見えますが、アメリカに長くいる日本人でも、98%ぐらいの人がこれらの単語を以下のように発音しています。


east (東)


ear (耳)


eehaw (意味不明...中国語のニーハオに間違えられるのが関の山でしょう)


英語を専門とした言語学で博士号を取った日本人教授(アメリカ在住30年)でも聞き分けが出来ないとクラスで言っていました。そんなわけで、この発音の区別は日本人にはウルトラE級であると確信しています。しかも、日本人のほとんどは、間違って発音していることにすら気づいていない!ネイティブレベルの人でもね。


日本人の友達とアメリカ人の友達が会話をしていたときのこと。(私は同じテーブルで食事をしていました)


日本人"So I have been studying English for many years."


アメリカ人"Oh, you've been studying English for many EARS!?"


日本人"Yeah."


アメリカ人"Are you sure? Many EARS?" (ぷぷぷと噴き出して笑っている)


日本人"Of course."(まだ気づいていない)


・・・というような会話があったのですが、この日本人の友達は最後まで何故笑われているのか全く分からず、狐につままれたような顔をしていました。何で笑われているか日本語で教えてあげたのですが、それでもよく分かっていないみたいでした。


実は、このyeast, year, yeehawの第一音節の音[ji](yi)は、英語でも使われるのが稀な音なのです。[je](ye)ならそれほど難しくはないのですがね。例えば以下の音は日本人でも簡単に発音できます。


yes


yeah


yesterday


など。


[ji](yi)をどう発音するかは、なかなか口では説明しがたいのですが、舌の中間部に力が入って上に盛り上がる感じです(何のこっちゃ、と思われるかもしれませんが、それしか言いようがありません)。yeastではなくeastの場合は、舌に余計な力は入りません。それこそ、日本語の「イ」を発音すればOKです。


 


 


車のヘッドライト

3月になりました。コロンバスも日に日に寒さがやわらぎ、春の香りが漂うようになりました


さて、1月に切れた車のヘッドライトを直してもらうため、SawmillのHonda Immkeに行ってきました。ここは、毎年のメンテナンスでお世話になっているところで、従業員の対応もいいし、仕事がきっちりしていて間違いがなく信頼できるので、何か問題があるといつも車を連れて行きます。お願いしたこと以外に問題を見つけてもらって助かったこともあります。一度なんか、車を購入して2ヶ月ぐらいの頃、前のオーナーがちゃんとメンテナンスをしていなかったために、ブレーキのタイミングベルトが切れ掛かってたとか、ブレーキパッドが反対についてたとか、凄いこともありました。(→ブログエントリー「expensive lesson」と「90日間保証・・・何のため?」をご覧ください)


私の愛車2004年Accordは、最近の型に比べるとお尻がちょっと大きくてぷっくりしています。結構荷物が入ります。バックから眺めた場合、周りの車より二まわりぐらいケツがでかい気がします。


こんな感じ↓



最近のはもっとスタイリッシュで速そうで、たまにほしいなぁーと思いますが、まあ卒業までは無理だろうな。お金もないけど、日本と違って新車のピカピカの車などは傷をつけられたりしますからね。(あ!でも私の車も、中古だけど、買ってまだ3ヶ月しか経っていない頃、何者かに傷をつけられたことがありました


新しいアコードもいいけどスバルのフォレスターも気になりつつ・・・


気がつくとぼ〜っと車販売のウェブサイトを眺めていることもあります。。。


車って見ているだけでも何で楽しいんだろう。昔乗っていたRAV4はワインレッドで、まだ買ったときに15000キロぐらいしか走行していなくて、まわりのどの車より可愛くて、かなり大事にしていました。名前もつけたりして。同じ型の同じ色の車を同僚の(好ましく思っていない性格の悪い)オバサンに買われたときは、汚(けが)された気がしたものです。北海道にも、長野にも仙台にも大阪にも四国にも連れていきました。数年後、ボストンに修士留学するため手放したけど、悲しかったなぁ。


走行距離といえば、アメリカの表示はマイル(1マイルは1.6キロ)なのですが、中古車で10万マイルに到達している車も余裕で売られています。キロ換算すると16万キロだから、凄いんだけど、10年落ちなら15万マイル(24万キロ)走行している車もザラだし、やはり日本より、一台の車が使われる年数が長いようです。


さて、ヘッドライトが切れているのを発見したのは韓国人の友人でした。その友人の車の後ろを走っていたので、あとで目的地に着いたあと、「左のヘッドライトが切れているよ」と言われ、それで初めて気づいたのでした。もともと私の車のヘッドライトはあまり明るくないとは思っていましたが、切れていても分からないぐらいだったわけです。


その時は1月で、ヘッドライトが切れたまま走っていたら、パトカーに止められたこともあります。candidacy examが終わってからホンダに行こうと思いながら、ずるずると1ヶ月以上もの間、片目走行していました。今思うと夜間、暗い道の走行は結構不便でした。ハイビームが使えればいいのですが、対向車が来るたびに切り替えるのも面倒だったし、またパトカーに止められたら嫌だなあと思いながらの運転もあまり気分的にいいものでもなく・・・。自分の車の後ろでビカビカと青と赤の光が回転しているのを見るのは嫌なもんです。何でアメリカのパトカーはあんなにまぶしいんだろう。


何はともあれ、オイル交換、フィルター交換、ヘッドライト交換、タイヤのローテーション、ブレーキやランプの点検などやってもらい、何も問題がなかったので良かったです。しめて250ドルぐらい取られましたが、まあそんなもんか。メンテナンスの後は気分爽快にドライブして帰りました。ついでに破産申請したという大手書店、Bordersの閉店セールまで立ち寄ってしまいました。イタリア語の本(というと聞こえがいいが、その実はItalian for Dummies...バカでも分かるイタリア語、てなところでしょうか)、そしてCold Play, The Corr, No DoubtのCDをお買い上げ。イタリア語って響きが音楽的で好きだし、イタリア料理とワインが好きだし、今までゲルマン系の言語(ドイツ語、英語)しか勉強していないので、ラテン系の言語もやってみようかな、って。


 


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