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Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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秋学期を終えて

毎日何かしらの課題に追われ、息つく間もないほど忙しかった秋学期も、全Aで幕を閉じた。懸念だった統計学も、何とかギリギリA獲得。やれやれ。もう統計学や数量的研究の科目は取ることはないだろう。

それにしても、毎日、次の日の準備や提出期限が押し迫ったペーパーに何時間も費やさねばならず、美しい秋も十分に堪能する心の余裕もあまりなく、将来を考える余裕などなおさらどこにも無い、そういう生活が人間的だと言えるだろうかと、ふと考えてしまった。

現在はひたすら必要なコースワーク(科目履修)をすすめている段階なので、全ての授業が必ずしも自分の興味に合致しているわけではない。統計学はもちろんだが、それ以外でも、広い意味では興味に合致していても(「応用言語学」「外国語教育学」の一分野である、など)、狭い意味では興味に合致していなかったりする。取っている科目が自分の興味にぴたりと合致していれば、それ自体が自分の博士論文のテーマに結びついていくのだと思うが、現時点ではそうではない。むしろ、それぞれの授業のための大量のリーディングをしながら、果たしてこれは自分の興味を掘り起こしてくれるかどうか、模索している段階である。

博士課程も2年目に入り、そろそろ学会での発表や、ジャーナルへの投稿なども視野に入れなければならないが、何しろその時間がない。ジャーナルへ投稿、といっても、どのジャーナルを選ぶかとか、どのテーマの自分の論文を手直しして投稿するかなど、色々考えなければならないはずだが、この秋学期はまるで時間がなかった。

これではいけないと、来学期はあえて履修科目を秋学期の半分に減らし、将来の研究課題などを考えたり、研究のヒントを得るための読書の時間を積極的に作ることにした。

幸いなことに来学期からはGA (Graduate Associate)として大学に雇用されることが決まったので、諸経費は自腹で支払わねばならないものの、高額な学費(1学期に約85万円)がほぼ免除となるため、財政面での心配が軽減される。

学費は、1単位から10単位までは単位数ごとに増えていくのだが、10単位以上20単位までは金額が変わらない。よって、できるだけ早くコースワークを終えるため、overloadといって、アメリカの大学院生は科目を履修しすぎる傾向にある。つまり、1学期に10単位取ろうが、18単位取ろうが、学費が変わらないので、早く履修してしまったほうが、1学期でも早く卒業できる(=1学期分の学費を節約できる)のである。まさに私もそれを今学期はしていて、合計20単位取っていた。20単位は1学期間に履修できる最大単位数である。

しかし来学期からは学費は大学が持ってくれるので、これからは1学期間に無理矢理科目を詰め込まなくてもよくなる。来学期はもちろんGAとしての週20時間の仕事も始まるが、それでも今学期よりはかなり余裕が出来そうだ。

というのは、現在私が有しているF-1ビザが、週20時間の労働までしか認めていないので、このGA採用に伴って、9月から始めた毎週土曜の高校での勤務を退職せざるを得なくなったのだ。秋学期は、金曜は次の日の授業の予習、そして土曜の勤務後は疲れ果てて全く脳みそも体も使い物にならず、ベッドに倒れこんで昏睡、そして日曜は次の週のための課題に再び追われる、という状況で、何週間も「週末」の無い生活をしていた。来学期からは土曜勤務がなくなるので、少なくとも金曜の午後から日曜までは「週末」になるだろう。

自分の博士論文に繋がるような研究課題に関しては、いまだ混とんとしたままなのだが、どうにか来学期はしばしゆっくりと思考する時間を持って、道が見えてくるとよいのだが。。。


 


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冬到来

寒い。現在気温は華氏18度。セ氏に換算すると零下7.7℃である。
東京では零下の気温を体験することはほとんどないが、まさに冷凍庫の中を歩いているような感じである。これから1月末までがおそらく最も気温が低いと思われるが、あの、息をすると痛い感じが思い出される。

ユニクロから来た広告メールで、またかわいいプレミアムダウンジャケットの写真が載っていたが、こちらにいると、腰丈までのダウンジャケットは着られる時期が限られる。10月か11月頃のぐっと冷え込んだ時期(零下まではいかない)か3月の少し寒さが緩和される頃ぐらいで、少ししか着ていないのにまた冬が終わってクリーニングに出さねばならないので、もったいない。日本から白い腰丈のダウンを持ってきているが、ほとんど着ていない。冬の帰国の時に持ち帰ることになりそうだ。

11月末頃から本格的に寒くなってくると、膝ぐらいまでのロング丈のダウンコートが一番使える。下半身が隠れていないと、寒風が足に突き刺さる感じがある。頭も耳も隠れるような帽子も欠かせないのであるが、ダウンコートのいい点は、フードをかぶれば帽子がいらないことだ。帽子は髪型が崩れるのが不快だが、ダウンのフードなら、髪型も崩れないしあたたかい。

大学院の博士課程では、コースワークがだいたい終了した時点(入学して2〜3年のち)で、呼び名はプログラムによって異なるが、candidacy examとか、general examとか、qualifying examと呼ばれる総合試験がある。出題内容はそれまで取った専門科目のすべてに及び、試験期間は1カ月ぐらい缶詰で、何百ページかの解答を書いたあとには関連内容について口頭試問もある。2度落ちるとその場で修士号をもらって退学しなければならないという、厳しい試験である。

これに受かれば、あとは博士論文のための研究に取りかかることができ、この時点でようやくPh.D. candidateと名乗ることが許されるのだが、問題はいつ受けるかである。

オハイオ州立大はクウォーター制なので、どの季節に受けるか、ということである。ただ、自分のcandidacy examの委員会は4名の教授で構成されるので、その全員が揃う学期でなければならず、まあ夏学期に受けられる人はほとんどいない。よって、秋か冬か春かということになる。

私個人の考えとしては、冬に受けるのが一番いいのではないかと思っている。極寒の中、遊びに行きたい気持ちにはならないし、冬の3ヶ月間はコロンバスの空は毎日グレーなので、勉強にも集中できそうだ。美しい秋に紅葉も見に行かず、部屋にこもりっきりで試験など受けていたりしたら、鬱病になるかもしれない。

ともかく今年もまた冬がやってきた。ああそうだ、今季は冬季オリンピックなんだっけ・・・前回、荒川静香がフィギュアで金メダルを取ったのはついこの間のことのように思えるが。今学期はあまりに大変だったので、来学期は少し科目数を減らして人間的な生活をしようと思うので、オリンピックをテレビで見る時間も作れるかも。それにしても今学期は本当に一回もテレビを見なかったなぁ。


 


挑戦のすすめ 〜卒業によせて〜

私は四歳の時にピアノを習い始めた。

厳しい指導で知られた先生のメソッドのおかげで鍛えられ、小中高時代、ピアノにかけては私の右に出るものはいなかった。小学校では学芸会、カトリックの私立中学・高校では毎朝の聖歌合唱とクラス対抗の合唱大会の伴奏が、私の活躍の舞台だった。

幼い頃から教師になるのを思い描いていた私は、音楽の教員になるために、中学在学中に音楽大学への進学を決めたが、ピアノさえ弾ければ合格するのかと思っていた私は甘かった。そこからは、音大受験に必要な特殊な科目の勉強が始まった。声楽(オペラの歌唱)、新曲視唱(初めて見る楽譜を一分間の黙読した後、伴奏なしで歌う)、聴音(ピアノの短い曲が三回繰り返される間に曲を楽譜に書く)、そして楽典(音楽の文法)である。これらの特殊科目の特訓は通常は幼い頃から始まるそうであるが、幸いなことに私は耳が良く絶対音感があったので、中学からのスタートでも間に合うことが出来た。

音大受験準備は至って順調であったのだが、高三になったばかりの頃、少しずつ自分の進路に疑問を持ち始めていた。音楽の道に進もうと決心したのは、自分の一番好きなものは何かと考えたときに、それがピアノだったからだ。それなのに、毎日何時間も、指の訓練の為に、面白くもない、テクニックを向上させるための曲ばかり練習し、当時ピアノを教わるために師事していた大学教授には、好きなショパンなどロマン派の楽曲を弾くことは「指が崩れる」という理由で禁止され、気付いた時には自分にとってピアノは全く楽しくないものになってしまっていたのだ。

普通ならそこで進路変更するのであろうが、私の場合、そのピアノの大学教授に師事するために、元のピアノ教師や声楽の教師など多くの人のつてを頼っていたので、進路変更することは彼らの面子を潰すことになる。簡単には音大受験を止められない状況にあった。

決して裕福ではない家庭なのに、両親には膨大なレッスン費用を捻出させ、途中で止めるのは申し訳ない気持ちもあった。
ただ、一番好きなものを楽しめない苦痛は限界であった。一番好きなものは一番のままにしておきたい。それには方法は一つしかなかった。それを仕事にしないということだ。考えた挙句、私はケジメをつけるために音大を受験し必ず合格することを条件に、二番目に好きなものを進路に選ぶことを、両親に許してもらった。

かくして私は音大と英語専攻の学部を両方受験し、担任には、そんな両立は聞いたことがない、無理だと言われながらも、無事にどちらも合格した。数年間に及ぶ音楽の特訓が無駄になったように見えるが、私はそうは思わない。
大学進学後、音大という亡霊から解放された私は、再び音楽を楽しめるようになり、音大受験のおかげで、自分は実はピアノよりも歌の方が好きだということにも気付き、バンドサークルで四年間思う存分に歌い、音楽の専門知識や譜面作成の力は思わぬ所で役にも立った。高校の英語教員になってからも、軽音楽部や合唱部の顧問として、ピアノが弾けることや音楽の知識はクラブ指導にも役立った。

何より、今も一緒にバンドを続けている仲間や生徒達に出会えたのは一生の宝だ。今ではピアノの腕は鈍る一方ではあるが、音大に進学しなかったことに後悔はない。もし音大に進んでいたら、オハイオには来ていないだろう。

人生には、岐路と呼ぶべき、将来を決定づけるような重大な決断をしなければならない場面がある。人は変化を恐れるので、人生が変わる可能性のある一大事は本能的に避けようとする。多くの人が、現実に不満を抱え変化を望みながらも結果として保身に走ったり、何か一歩踏み出せないでいるのはそのせいだ。

だが、時には思い切った決断で、リスクを冒してでも自分のやりたいことや信念を貫くことが、より豊かな人生を生きるためには必要だ。そしてそれが自分の可能性を切り開くことに繋がる。私は数年越しの夢を叶えるため、収入も社会的地位も安定した教員を退職し、アメリカに来た。それによって失ったものもひょっとするとあるかもしれないが、数々の出会いや自身の成長など、得られたもののほうがずっと多い。自分の能力以上の何かに挑戦すること、新しい道を選ぶことは不安でとても怖いことのように感じられるかもしれないが、卒業生の皆さんにも、やりたいことが出来た時には、思い切って一歩踏み出してもらいたいと思う。やらなかった後悔よりも、やってしまった後悔のほうがずっといい。そして、大体の場合、人は自分の人生を自己肯定したい生き物なので、大きな何かを自分で選択して後悔することはほとんどないのだ。

(生徒の文集への寄稿文)


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