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まめ

Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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もうすぐ1歳半

早いもので、イギリスに来た頃はまだ1歳になったばかりの娘も、あと1週間で1歳半になります。

11か月で歩き始めたものの、13か月ぐらいまでは、歩くのに疲れると、時々ハイハイになってしまったりしていましたが、いつの間にかもうハイハイは全くしなくなりました。
ハイハイをしていた頃は、あり得ないぐらいの速さでハイハイでの移動が出来たのですが(友達曰く、「虫みたい!」)、いったんしなくなってからは、速いハイハイがもう出来なくなってしまったみたいです。たまーに、こちらがハイハイをしてみるとマネするのですが、遅い遅い。大人が四つん這いで高速移動ができないのと同じです。

足が強くなり、近くの公園に行くのも、最近では乳母車に乗らずに、歩いて行けるようになりました。
歩くだけでなく、小走りも出来るし、まったく目が離せません。
アパートの階段も、上るのはかなり前からできましたが、最近は、正面から下りるのも出来るようになりました。

最近ことに体の発達が著しく、つい3日ほど前からは、大人の座る椅子に、よじ登って立ち上がるようになりました。それによって、キッチンナイフが置いてある場所だとか、洗剤が置いてある場所だとか、とんでもないところに手が届くようになってしまい、ますます、娘に触ってほしくない物の隠し場所が少なくなってきました。

そういえば6歳下の妹は、私が小学1~2年生の頃、私の机の上によじ登って、よく私のものを物色していたのを思い出します。娘も当時の妹ぐらいの年齢なので、机の上によじ登るのもきっと時間の問題・・・頭が痛くなります。さっそく昨日は、ちょっと目を離したすきに、まず、椅子から足を踏み外して、落ちて泣きました。

今日は公園に連れていったところ、手助けなしで、滑り台の階段を上り、自分ですべって下りてきました。
今までは、階段の段差が大きいので、手を添えてあげないと上れなかったし、滑るときも、その体勢にしてあげないと滑れなかったのです。
娘が遊ぶ様子を見ながら、なにやら寂しい気持ちになってしまいました。
ちょっと前までまったくの赤ちゃんで、何も一人でできなかったのに、こんなに大きくなってしまって。
まあ、嬉しいんですけどね。

もっと大きくなって、完全に幼児になってしまう前に、今まだ残っている赤ちゃんぽさを謳歌しなければ、と思って、やたらとぎゅーっとして頬っぺたにスリスリしてしまう今日この頃です。
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ぶどう

あと10日で1歳半になる娘の一番の好物は、もちろんおっぱいなのですが、二番目に好きなのはぶどう!

ぶどうは生後8か月ぐらいから好きでよく食べていましたが、1歳2か月のときに日本に帰国中、「ぶどう」という言葉と実際の食べ物がリンクし、そこからは、何かと

「ぶでゅー!」
「ぶでゅぶでゅぶでゅぶでゅ!」

と連呼、ぶどうを求めるようになりました。

最近はより明瞭に

「ぶどう!」
「ぶどぶどぶどぶどぶどぶど!」

と言えるようになりました。

毎日のように、冷蔵庫に手を伸ばしては「ぶっど!ぶっど!」と叫ぶので、ぶどうを切らさないように、買い物のたびに調達しています。

まだ昼間だけ授乳しているので、やはり卒乳した同年齢の子たちに比べると、さほど食事で食べる量が多くありません。
ぶどうも、5粒~多くて15粒ぐらいしか一度に食べません。
友達に聞いたところによると、娘より2ヶ月先に生まれたお嬢さん(卒乳しています)は、ぶどうなんて一房ぺろり、だそうです。

そんなわけで、娘は食事のほうは少食なんですが、おっぱいの栄養ってばかにならないらしく、体格は同年齢の誰よりも上、って感じで、すでに13キロ。3歳児と同じぐらいです。
アメリカだと健診のたびに身長を測ってくれますが、イギリスは体重のみなので、背がどれぐらい伸びたのか不明ですが、とんでもないところにまで手が届くようになり、明らかに背がかなり高くなった気がします。
半年前ですでに80センチでしたから、85センチはゆうに超えていると思います。

さて、ぶどうと言えば、読むと必ず娘がぶどうを欲しがる本があります。

「日本のどうわ」って本なのですが、昔話がたくさん入っていて、挿絵がすべて手作りの人形の写真で出来ているというものです。
日本に帰ったときに、大学時代の親友がくれたものです。
まだ読み聞かせるには長いので難しいのですが(娘の集中力が続かない)、写真が綺麗なので気に入っていて、娘はよく一人でページをめくっています。

で、「さるかに合戦」のこのページを見ると、必ず「ぶどう!」「ぶっど!ぶっど!ぶっど!」と叫び始め、冷蔵庫に突進。

sarukani 1

「ぶどうじゃないよ、柿だよ」

と毎度教えてあげるのですが、次のページを見て、また「ぶどぶどぶどぶど!」

sarukani 2

明らかにぶどうと色が違うのに、形状でぶどうと認識しているんだなぁ。

そういえば、別の本の中でも、トマトが出てくるたびに「ぶどう!」と叫んでます。ついでにキャベツのときも・・・。

でもミカンやオレンジの絵は決してぶどうと呼ばないので、不思議です。

バイリンガルの子育ては言葉が遅い?

うちは私が娘といるときは日本語のみ、夫は娘に英語のみ、家族3人でいるときには英語になります。
バイリンガルの赤ちゃんは言葉の発達が遅いとよく聞きますが、
娘が1歳4か月になり、ようやくこのところコミュニケーションが、少しだけですが、取れるようになってきたと感じられるようになりました。

1か月ほど前の日本滞在中に「にんじん」と初めてはっきり言った時のかわいらしさといったら。
叔母の家で人参をあげていたら、ゆっくりと、「にん・・・じん。」と言いました。
叔母と一緒に大歓声を上げてしまいました。

「ぶどう」も言えるようになりました。「ぶでゅー」って感じで発音しています。
そのあと、「ぶでゅぶでゅぶでゅぶでゅ!」と連続発音したりとか。
やっぱり好きな食べ物の言葉を一番先に覚えるものなのですね。

そう、娘は赤ちゃんのくせに変なものが好き。
ご飯やダシの味が好きなのは普通としても・・・
昆布、わかめ、海苔
にんじん、なす、ズッキーニ
トマト、きゅうり
パプリカ

味噌汁
納豆

・・・などが大好きなんです。

肉、魚、牛乳、豆乳、パン、などは食べてくれません。
なので、たんぱく質をどうやって取らせるかが課題。
実は納豆は良いタンパク源なんですが、アメリカでは割とスーパーで売っていたので買って食べさせられたのですが、イギリスではロンドンまで行かないと手に入りません。
しかも高い!
アメリカが日本の納豆の値段の3倍ならば、イギリスは5倍ぐらいってところでしょうか。とても買えません。

さて、言語の話に戻ると、他に認識している単語は「時計」(「けー」と発音)、「電気」(「じぇき」)、「アンパンマン」(「アンマン」とか「アンマンマン」という)など。
言葉には出さないけど、こちらが言った言葉を明らかに理解して行動することもあります。

例えば、
「お水どこ?」
と言うと、きょろきょろして、水が入った自分のボトルを持ってきてくれます。

どうやら、〇〇どこ?という表現はマスターしたらしく、
「アンパンマンどこ?」(アンパンマンの顔のボール)
と言うと、ボールを探しに行きます。

「そろそろお風呂に入ろうか」
と言うと、バスルームに駆けっていきます。

他には、夜寝るときに、クリブ(赤ちゃん用ベッド)の中で座り込んで起きてじーっとしていたり、眠れないと立ち上がって泣いたりするので
「横になりなさい」
というと、自分ですっと横になって寝入ってくれます。

食べ物がもっとほしい時には、
「ん!」「ん!」
と言いながら手を伸ばしてきます。

モノリンガルの赤ちゃんたちは、1歳にもなればこういうふうに、大人の言うことが分かってきたり、コミュニケーションが取れるようになってきたりするらしいので、それが全くなかったうちはちょっと焦ったりもしました。
イギリスで14か月の検診に行ったときも、体やそのほかの発達度合は全く問題ありませんでしたが、コミュニケーションの発達が普通より遅い、でもそれは家庭で二言語使っているためだから大丈夫、と言われました。

普通の赤ちゃんよりもう一つ別の言語を習得しながら育っているのだから、時間がかかって当たり前ですよね。
でも中にはモノリンガルでも2歳ぐらいまであまりしゃべらない子もいたりで、本当に言語の発達は個人差が大きいらしいです。早いから別にその後の言語の発達も優れているわけでも、遅いからどうというわけでもないらしいので、あまり心配せずいこうと思います。

娘が1歳になりました

7月にコロンバスのアパートの契約が切れたので同じコロンバスのホテルに引っ越し、夫の仕事の都合で行くことになったイギリスのビザ待ちをしています。

ホテル滞在中、娘が一歳の誕生日を迎えました。
もうinfantではなく、toddlerになったわけですが・・・

本当はもうイギリスに無事渡航して、新居できちんとお祝いしてあげたいと思っていたのですが、何しろ夫のUK労働ビザとその付帯家族ビザが発行されるのに予想以上の時間がかかったため、仮住まいでの誕生日パーティーとなりました。

車を売ってしまったので、ジャパニーズ・ベーカリーへ美味しい日本風のバースデーケーキを買いに行くことも出来ず、盛大に飾り付けするスペースもホテルの部屋にはなく、娘にはなんだか申し訳ない気さえしたのですが、幸いなのはまだ本人に誕生日の概念がないので訳が分かっていないのと、こちらがどうお祝いしようと、1歳の記憶は大人まで残らないということでしょうか。

徒歩圏内のWalmartで蝋燭一本とチーズケーキ・ファクトリーのチーズケーキ、バースデー・バルーンとバースデーの垂れ幕、バースデー・ティアラを買い、ささやかにお祝いしました。マッチもライターもなく、蝋燭に火をともすことはできませんでしたが、火があるという想像をして、夫と娘と3人で、ふぅーっと火を消すまねをしました。なかなかいい記念撮影もできたので、まあ良しとしたいと思います。

1年前の出産の日・・・娘が生まれるまでの17時間の分娩と娘が生まれた瞬間の産声を何度も思い返した一日でした。

生まれたときには3200gでごく標準でしたが、完全母乳の栄養が良すぎたせいか、瞬く間に体重が増え、3か月になる頃には体重も身長も99パーセンタイルにまで成長(同じ月齢の赤ちゃんを比較したときに最小を1、最大を100として計算した値)。大きな赤ちゃんは重くて抱っこし続けるのも大変でしたが、健康に育ってくれて本当に何よりです。
5か月頃には相撲取りの赤ちゃんか、というぐらい太っていましたが(母乳しかあげていないのに!)、8か月頃から本格的にハイハイするようになって、だんだん体重は増えなくなり、身長だけ伸びて、全体的にすっと締まってきました。11か月である日突然歩き出してからは、日に日にハイハイすることが少なくなって、なんだか寂しい気もします。

毎日、その日に初めてできるようになったことが何かしらあって、赤ちゃんの成長は本当に早いなあと実感しています。

昨日できるようになった新技は、ハイハイや歩いて後進すること!後ろ向きに歩くのって、けっこうバランス感覚も必要だし、12か月の子には難しいと思うんですよね。教えてもいないのに、どういう心境でそれを始めるのか・・・全く不思議です。



6-week postpartum check

早いもので、10月に入り、コロンバスは青空を背景に、色が変わりつつある木々の葉が日の光を浴びながらよく映えて、すがすがしい毎日です。人生でもっとも劇的で思い出深い夏も、終わってしまいました。なんだか名残惜しいような、寂しいような。


さて、出産から6週間が経ち、妊娠中から通っていた産婦人科に、6週目のチェックに行ってきました。


日本は切りのよい1か月検診とかでしょうか。


アメリカは6週目に、膣の入り口の縫った傷跡を診たり、乳がん検診(触診のみ)、子宮頸がん検診(pap smear)、避妊相談などを行います。


出産にも担当医として立ち会って、長女を取り上げてくれた先生なので、なんだか会うのが嬉しかったです。


日本の友達に聞いた話では、経膣出産の場合、日本ではあらかじめ膣の入り口を切って縫って、退院時に抜糸をするそうですね。アメリカでは最近は、切るよりも、自然にまかせて裂けた部分を縫うほうが治りがよい、とされているらしいです。でも、今となってはどうなのかな、という疑問もあります。というのは、この、裂けて縫った傷口の治りが思った以上に遅くて、ちょっと大変だったのです。


誰もが経験することなのに、ネットを見てもなかなか情報がないし、産婦人科の先生にとっては当たり前すぎる話題なので、妊娠中の検診のときもあまり詳しい説明もしてくれず(聞けば話してくれたのかもしれませんが)、どういう経過で治っていくのか、どれぐらい痛いのかもよくわからないまま、出産の日を迎えてしまったので、ここに書き留めておこうと思います。


「自然に裂けたところを縫う」と聞くとぞっとしてしまいますが、出産経験のある誰もが、「陣痛の痛みでそれどころじゃなかった」と言うでしょう。私も、産むのに必死で、陣痛は激しく痛いし、裂けたのなんか全くわかりませんでした。アメリカは抜糸の必要のない、溶ける糸を使って傷を縫います。この糸、けっこうしぶとく残っていて、なかなか溶けてくれないんですよね。おかげで、6週間たっても糸の一部がまだ残っていて、そこがひきつれて出血したりしていました。出産1か月も経ってもトイレ(大きいほう)のたびに出血するので、縫った傷ではなくて、痔になったのかと思ってましたが、どうやら糸でひきつれていたようです。6週目の産婦人科のチェックのとき、先生が糸を3か所切ってました。「これで治るよ」と言って。本気で痔になったのだと思っていましたが、その日以来、トイレの出血はなくなったので、間違いなく糸でひきつれていたせいだと思います。日本みたいに、さっさと抜糸してくれたほうが良かったのかもしれません。


出産後1週間ぐらいはかなり出血する上に傷も痛むので、イブプロフェンという痛み止め(授乳中も大丈夫)800mgを6時間ごとに服用しました。今思えばかなりの量ですね。一日3200mg飲んでいたわけですが、例えば、ルルアタックという風邪薬の中に含まれている痛み止めは一回に150mg、一日450mgです。桁が違います。それぐらいの痛みだってことです。道理で、うっかり飲み忘れたときは痛くて歩けないほどだったはずです。アメリカの病院のシステムは、医薬分業なので、退院のときには、痛み止めの処方を医師が書いてくれたものを渡されますが、薬自体は、自宅近くのドラッグストアに買いにいかなければなりません。日本だったら、病院の中に薬局があって、退院時には薬をもらって帰ることができるのに。


退院した日、痛み止めが切れて、どうにも痛くて歩くことができず、仕事から帰宅した夫にドラッグストアに買いに行ってもらいました。


下の手当ては、トイレ(大小関係なく)に行くたびに、傷を温水で洗い、痛み止めスプレーを噴射し、witch hazelという樹木のエキス(?)に浸した薄いパッドを3〜4枚、巨大な生理用パッドの上に敷き詰めたものを着用します。これを毎日毎日5週間続けました。ずっと寝たきりでいれば治りも早かったかもしれませんが、新生児がいるとそうもいかないので、大変でした。


一番大変だったのは排便・・・。なんか妊娠後期からこのブログはうんこネタばっかり続いてますが、いや、ほんとに大変だったんです。出産経験のある人はみんなどうしているんだろう?って思ったぐらい。まず、傷が裂けるのではないかという恐怖からトイレでいきめないし、力を少しでも入れると痛いので力が入らないし、出産時のいきみがトラウマになっていて、いきむこと自体ができない。母に聞いたら、私を出産後1週間排便ができなくて、熱を出したそうです。私はそこまではいきませんでしたが、まる5日間、出せませんでした。普段便秘をしないので、5日間はけっこう私にとってはものすごい長期間です。便をやわらかくする錠剤を飲んでも、いきめないから出せないし、浣腸をしたくても、アメリカにはいちじく浣腸みたいな便利なものは売っていないし(なんか巨大な、まったく別物の浣腸は売ってますが・・・)。結局、お腹があまりいたくならない緩下剤を使いました。


6週間経って、もう痛みもなくなり、傷も順調に癒えています。いやー、2週間ぐらいで治るのかと思ってましたが、甘かったです。傷口には基本的には薬を塗ったりせず、自然に放置しておくというのが衝撃でした。抗生物質とか塗るのかと思ってましたが、樹木エキスですからね。私にとっては、出産の陣痛よりも、この出産後の縫った傷の痛みと不快さのほうが、耐えがたいものがありました・・・。


娘も6週間経って、原始反射ではなく、起きているときに、笑顔を見せるようになりました。もうめちゃくちゃ可愛いです。泣きわめいているときは真っ赤でくしゃくしゃのすごい顔になりますが、あの笑顔はほんと、天使のようで、心底癒されます。母乳育児は体力も取られるし、疲れと眠気で一日終わるころにはふらふらになりますが、あの笑顔を見るためなら、どんなに大変でも頑張ろうって思えます。


 

アメリカで出産後の入院生活

3200gで生まれ、小さくてかわいい「新生児」だった娘。はや生後4週間が経ち、体重もずっしりと4700gに増え、すっかりたくましい「乳児」になりました。いっちょ前に大人顔負けのおならもげっぷもします。いや、本当におならは、音も匂いも半端なくスゴイです。さらには母乳を飲み終わったあとは、よだれを垂らしながら満腹のオッサンのような「ぐへぇぇ〜」という声も発するようになり、なんだか気づいたら二重あごになってるし。当然赤ちゃん体型でお腹もぷっくり。足も細くてすらっとしてたのに、肉肉しい太ももに。せっかく可愛いハーフで生まれたのに、ふと見せる表情と振る舞い、どでーん、と寝ている様子がオッサンか相撲取りにしか見えなくなってきてます(泣)。。。でも赤ちゃんは痩せてるより太ってるほうがいいし、自分の子は無条件に可愛いんですよね〜。


忘れないうちに、アメリカで出産したあとの短い入院生活について書いておこうと思います。


アメリカでは日本と違って、出産後は普通分娩の場合は2泊、帝王切開の場合は3泊しかさせてもらえません。健康保険がそれ以上下りないからです。この前、請求書が来ていましたが、出産とたった2泊の入院生活でも、16000ドルぐらい(160万円)かかっていました。大学の学生保険でカバーされて、私が自腹で払う分は600ドルぐらい(6万円)のようですが、保険がなかったら、大変なことになります。


出産の日をDay 0, と数え、Day 1は入院、Day 2には退院になります。つまり、私のように夜10時に出産した場合は、その次の次の日には退院になりますが、私の友人のように、その日じゅうに産まれず、次の日の朝に出産した場合は、夜12時を超えた時点でDay 0が持ち越されるため、一日長く入院できることになります。体の回復のためにはいいですが、もちろん、入院費用は跳ね上がることになります。


意識が朦朧とした中で出産し、そのまま1時間ちょっとは分娩室にいました。赤ちゃんを胸に抱いてスキンシップをするカンガルーケアをし、そのあと新生児は体重と身長を測り、体を綺麗にされて、おくるみに包まれます。下半身の麻酔が効いているので、倒れるかもしれないため、車いすで病室に移動。意識が朦朧としていて記憶違いでしたが、出産の記事のところで、赤ちゃんは病室に別々に運ばれてきた、と書いたかもしれませんが、よくよく思い返してみたら、赤ちゃんは車椅子に乗った私が抱いていたようです。


病室も個室で広々としていて、付き添い(夫)が寝られるソファベッド、机と椅子、シャワーとトイレもついていました。日本では相部屋のこともあると聞くので、アメリカはずいぶん恵まれているんですね。


病室に入った時点ですでに11時15分ぐらいだったので、出産に立ち会った夫も叔母も疲れ果てていました。私はやっと飲み食いできることが嬉しくて仕方なく、水をすごい勢いで飲み干して、叔母の作ったおにぎりを5個あっという間に平らげました。叔母は私のアパートに帰り、夫はそのまま同じ病室のソファベッドに寝ましたが、当の私は、出産を終えたことでの興奮状態、さらに赤ちゃんが気になって仕方がなく、なかなか寝つけませんでした。新生児って細くてちっちゃくてか弱くて、おくるみが口のところに来て窒息するんじゃないか、とか、よだれが口の中にあふれて窒息するんじゃないかとか、心配で仕方がありませんでした。


それでも、少しうとうとしたみたいでした。朝4時頃ふと起きると、赤ちゃんが目覚めているのが見えました。抱き上げて、すりすりして話しかけたりして、またベビーベッドに戻そうとすると、おくるみに血が!!!


どうしよう!おへそから出血!?


パニック状態で部屋の電気をつけると、ベッドの上が血の海でした。いや、赤ちゃんのベッドではなく、自分のベッドが!


赤ちゃんのおくるみについていた血は、赤ちゃんではなく、自分の血だったのです。何が起きたのか分からず、どこから出血してるのかと見回すと、左腕に刺されているIV(点滴のために入れる針)から、点滴の管が抜け落ちて、IVからドクドクと血が溢れていました。つまり、点滴の管が抜けると、血が逆流するので、出血し続けるわけです。慌ててナースコールを押し、1分ほど待つとどやどやと4人ぐらいのナースが入ってきて、プロの手際で点滴をつなぎ直し、ベッドと床を綺麗にしてくれました。


出産でもかなりの出血があったのに、IVなんかのせいでまた余計に血がなくなった!そもそも出産中はともかく、出産後の点滴は何のためなんだか全く分かりません。必要なかったのに。


・・・まあそんな大騒動もありましたが、大事に至らなくてよかったです。それより、血がピューピュー出ていたその大騒ぎの最中、ずーっと寝入っていて気付かなかった夫にもびっくりでした。ナースがすべて片づけたあと、起きだして、部屋にナースがいるのに気づき、「なに?どうしたの?」・・・余程疲れていたんだと思いますが。


入院初日の夜も、その次の日も、なんかあまり休めた感がありませんでした。というのは、ひっきりなしに色んな担当の医師やナースが入ってくるからです。アメリカの病院はものすごく細かく仕事が分担されている感じで、6時間に一回、痛みどめと便秘薬を持ってくるナース、数時間に一回の体温・血圧計測、水を持ってくるナース、産婦人科医が子宮の様子をチェックしにくる、小児科の医師が赤ちゃんを診察に来る、担当のナースが入れ替わりのたびに挨拶にやってくる、それ以外に母乳指導の担当の人、食事メニューの説明の係の人、食事を運んでくる人、清掃の係の人、退院手続きの係の人、ソーシャルセキュリティーの係の人、などなど。テレビやビデオが用意されていて、そこで育児についての役に立つ番組が放映されているから、入院中に見てください、などと言われましたが、そんな暇もなく、結局見ず仕舞いでした。でも、短い入院期間でも、退院の日の朝に、1月からずっと担当してくれて出産にも立ち会ってくれた産婦人科医の先生が、(たぶんクリニックへの出勤前に)病院に立ち寄って、様子を見に来てくれたのが有難かったです。


食事はかなりいい、とは噂に聞いていましたが、その通りでした。メニューが色々あって、その中から選択できたり、デザートもついてきたり、飲み物も選べたり。毎回完食でした。ホテルのルームサービスのようでした。


日本の出産後の入院では、母乳がよく出るようにするため、おっぱいマッサージをしてくれる助産婦がいる場合がある、と聞いたことがありますが、アメリカではそういうのは一切ありません。感覚的には、母乳で育てず、人工ミルクで育てる人も多い気がしました。私を担当してくれた産婦人科医も、「どうしても自分が母乳をあげるっていうのがピンとこなくて、ミルクで育てます、っていう人が多いんだよねー。母乳が最高の栄養なのに。」と嘆いていました。アメリカでは、乳首が腫れ上がったときに塗るラノリンのクリームをくれたり、乳首の吸わせ方を教えてくれたりはしますが、それ以外は特に何も教えてもらえませんでした。そのため、初乳(出産後数日間出る、透明から黄色っぽい液体)がいつ母乳に替わるのかとか、よく出るようにする方法とか、何もわからないまま、退院になりました。そういえばおむつの取り替え方も分からなかった気がします。


自分の母乳(初乳)がきちんと出ているのかもわからないまま、とにかく3時間に1回、15分間ぐらいは赤ちゃんに乳首を吸わせていましたが、とにかく便がたくさん出ていたので(1日10回ぐらい)、初乳はちゃんと飲んでくれていたのが分かりました。(母乳は赤ちゃんの便の出を良くするそうです。)


退院の日は朝からバタバタでした。まず、夫は仕事があったため、叔母と二人ですべて手続きをしなければならなかったので、大変でした。11時には追い出される感じで、大量の荷物(もともと持ってきた荷物に加え、ものすごい量のおむつやらお菓子やら大学病院のロゴ入りのローブやら絵本やら「おみやげ」がありました)をまとめて、車へ行き、正面玄関まで車を回して、そこでナースから赤ちゃんを受け取り、帰宅しました。私は出産後2週間は運転を禁止されていましたが、運転の苦手な叔母が、どうしても駐車場から車を出せないというので、駐車場内だけなら、ということで許可してもらいました。その日に限って叔母の体調も悪く、めまいがする状態で、帰り道も、日本と車の通行が逆のアメリカで、運転する叔母が反対車線に入りそうになって冷や冷やしましたが、無事に家に帰りつきました。


日本だったら、退院時はタクシーで帰宅するのでしょうか。アメリカでは法律で、赤ちゃんは必ずベビーシートに乗せなければならないと決まっているので、ベビーシートのついていないタクシーは使えないのです。自分の車にあらかじめベビーシートを設置しておいて、そこに赤ちゃんを乗せることになります。


それにしても、新生児ってホンットーにかわいいですよね。あれだけ痛い思いをして産んでも、また次が産みたくなる女性が多いと聞きますが、なんとなく気持ちが分かるような気がしました。痛い思いは一時的なものだから、忘れてしまうし、痛い思いをしたあとの感動は何にも代えがたいものです。

出産レポート[その2]

前回に続きます。


陣痛促進剤による分娩、朝の5時から始まって、12時間経過して午後5時になってもまだ産まれず。陣痛間隔は3分程度、子宮口は7センチほど開いています。


午後6時


epidural(「無痛分娩」のための、背中から入れる麻酔薬)が効いており、陣痛の痛みは和らぎ、かなりラクになる。ナースに「生まれかわったみたいでしょ」と言われる。


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午後6時半


ナースが子宮口の確認をする。「子宮頸管がないわ」と言われる。つまり、子宮口が全開(10センチ)になったということ。まだ心の準備ができていないのに、「じゃあ、いきんでみましょう」と言われる。かなりのベテラン助産婦らしく、うまく音頭を取ってくれる。合わせていきんでみるが、うまくいきめない感じ。何度か繰り返す。助産婦(ナース)は7時までのシフトなので、その間に産まれたらいいわね、というようなことを言う。私も、朝の若いナースよりはこの助産婦がいる間に産みたいな、と思ったが、まったく出てくる気配はなし。


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午後7時


ナース交代。朝の若いナースが「私が戻ってくるまで赤ちゃん待っててくれたのね」と笑いながら言う。麻酔薬が切れてきたのか、陣痛の痛みが増してくる。思わず、手元のボタンを押す。15分に1回押してもいいというボタン。ボタンを押すと、背中の管を通じて、麻酔薬がさらに入る仕組みになっている。


5時半ごろから、何度も、ナースや当直の医師に「もうすぐDr. Trout(1月から診てくれている私の担当の産婦人科医)が来るからね」と言われるが、一向に現れない。


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午後7時半


若いナースのかけごえに合わせて一生懸命いきむが、赤ちゃんはまったく産道に下りてこない。いきむスタイルが、寝ている状態で、足をあげて自分の足をお腹につけるような感じで手で持っていきむのだが、麻酔薬のせいか、足がだるく重く、がくがく震えが来るほど疲れている。


そうこうするうちに、やっとDr. Trout登場。「やあ、どうだい調子は?」といつもの陽気な感じだが、こちらは陣痛の痛みと(epiduralのボタンを何度か押したが、効いていないんじゃないか、と思うほどの痛み・・・「無痛分娩」というけど、ぜったい「無痛」なんて嘘!)、陣痛のたびにいきむことによる疲弊で、意識も朦朧としてくる。麻酔のせいもあるのか、陣痛と陣痛の合間が極めて眠く、頭がぼーっとしている。陣痛が来ると痛みのために目が覚めるような感じ。


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午後7時半〜8時半


あまりに疲れているので、いきむのをやめて、陣痛がもっと頻繁にやってくるのを待つことにする。しかし、この時間がきつかった!この1時間は、陣痛が来てもいきまず流すため、痛みにひたすら耐えるのみ。陣痛と陣痛の間はほんの2分ほどしかないのに、その2分は意識が朦朧として、眠りに落ちそうになる。また、極めて激しい痛みがやってきては、夫と叔母の手をつぶさんばかりに握り締め、耐える。陣痛は、いきむことによって痛みが軽減するのか、と初めて分かる。


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午後8時半


Dr. Troutとナースが戻ってくる。「さあ、頑張りましょう」といわれ、また陣痛のたびに足を持ち上げ、いきむ。「頼む、産まれてくれー!」と思いながら、ひたすら力を入れる。ふと、痔になるんじゃないか?と不安もよぎったが、痔になってもいいや!と思えてくる。とにかく子宮口から産道へ、赤ちゃんが飛び出てくるイメージをしながら、いきむ。いきむのは、陣痛1回につき、30秒間。息継ぎは2回。30秒間のいきみのあとは、体がへとへとで、また猛烈な眠気が襲ってくる。意識は朦朧とし、自分以外のことに気が回らない。先生やナースの呼びかけにも答えられない。夫や叔母がどんな顔をしているのか分からない。叔母に聞いたところ、夫は青い心配そうな顔で、陣痛(いきみ)の間は私の背中を支え、陣痛の合間には私の手を握ったり抱っこしてくれていたそうだ。


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午後8時45分


陣痛はすでに1分半〜2分間隔。つまり、2分に一回、30秒間のいきみがやってくる。体のエネルギーはほぼ皆無。体力限界。これが、高齢出産ということか。若い妊婦なら、こういうところで頑張りがきくのかもしれない。足を上げるスタイルではまったく産まれる気配がないため、今度はバー(鉄棒)を先生が持ち出してくる。バーをベッドに設置し、今度はバーを握りながら、うんこをするスタイルで、いきむ。重力がかかるため、さっきよりはいきみやすい。15分ほど頑張るものの、まったく赤ちゃんが産道に下りる感覚はない。ただひたすら、陣痛が苦しく、いきみが苦しく、その合間は意識がなくなる、の繰り返し。もう、一生妊婦のままなんじゃないかとすら思えてくる。このまま帝王切開とかになるんだろうか?下から産むのは無理なんじゃないか?


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午後9時


再び、バーを取り外し、最初の、寝て両足を手でささえていきむスタイルになるが、今度は、手で握る取っ手が設置される。足を支えるのではなく、その取っ手を握り、力を入れるのだ。さっきよりもより強くいきめる気がした。「いいよー、その調子で!」と言われる。しばらく頑張るも、相変わらず出てこない。


もう何回いきんだことだろうか。


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午後9時半


Dr. Troutが、「それではちょっと器具の助けを借りようか」と言う。何の器具だか分からなかったが、「はい」と朦朧とした意識の中で答える。昼間のベテランナースが用意した、動くテーブルに載せられた、数々の器具が目に入る。痛いのは嫌だな・・・とぼーっと考えながら、その間にもやってくる陣痛に耐える。


先生が取り出したのは、赤ちゃんの頭を吸引する器具だった。つまり、先生は子宮口までその器具を突っ込み、手で思い切り赤ちゃんの頭を引っ張るのだ。そして、出てきやすいように、私も思い切りいきむ。「赤ちゃんはコーンヘッドになっちゃうなぁ・・・」とぼーっと考える。陣痛がやってくる。「はい、いきんで!」と言われ、両手で取っ手を握りしめながら、すごい形相でいきむ。その瞬間、何かがずぼっとお腹の中からはずれるような感覚があった。赤ちゃんが産道に下りてきた(というか下りさせられた)のが分かった。ふと自分のお腹を見ると、お腹がへっこんでいる!30秒のがむしゃらのいきみのあと、陣痛がなくても、今までのどの陣痛よりも痛かった。ものすごい大きなものが、膣の産道の中に挟まっているのだから当然だ。苦痛に顔がゆがむ。必死で夫の手を握り締める。自然にうめきが漏れ、息遣いがはっ、はっ、はっ、っと荒くなる。もういきまずにはいられない感じになる。


「陣痛が来る前にもういきんでるね。それじゃあ、いってみよう」と先生が言う。これが最後のいきみになるような気がした。思い切りいきむ。骨盤が壊れたかもしれない。数十秒のいきみのあと、ばしゃーっという、何か大量の液体が流れ出る音とともに、赤ちゃんの産声がした。「おぎゃー!」あれ、本当に産声って「おぎゃー」なんだな・・・とぼーっと考える。先生が、「女の子だよ!」と言う。午後9時57分、やっと、17時間に及ぶ分娩・出産が終わった。


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この時、私はまったく気付かなかったが、叔母に聞いた話では、最後、吸引器具を使うときに、ナースが電話をかけ、ほどなくして、5〜6人のスタッフが部屋に入ってきたのだそうだ。すごい勢いで、赤ちゃんを取り上げる係、赤ちゃんを洗う係、赤ちゃんの重さを量る係など、一人一人が持ち場についたのだそうだ。


赤ちゃんのおへそからは、想像よりずっとぶっといへその緒が出ていた。アメリカでは父親がへその緒を切るのが普通のため、夫がはさみを渡され、それを切った。ロープみたいに太く強く、切るのは予想以上に力が要ったそうだ。続いて、まだ血のついた赤ちゃんが、真っ赤な顔をして私の前に現れた。胸に赤ちゃんを抱く。「やっと会えたね!産まれてくれてありがとう!」という気持ちでいっぱいだった。思っていたよりずっと小さな体で、必死で私の胸にしがみついていた。無意識に、五体満足なのを確認して、ほっとする。目が開いている。なんだか妹が赤ちゃんだったときに顔が似ているな、と思った。妹を産んだような気分になる。とってもかわいい。


赤ちゃんが産まれてすぐに、胎盤も出てきた。痛みは全くない。陣痛ももう起こらなかった。赤ちゃんの顔を見つめて、ぼーっとしていると、何か下のほうで、違和感を感じた。なんかちくちくするな・・・何だろう?


ふと目をやると、先生がなにやら忙しそうにしていた。あ、私、裂けたんだ・・・だから縫ってるんだ・・・。


日本では裂ける前に切って、縫うらしいが、アメリカでは、自然に裂けたのを縫うほうがいい、とする説があるらしい。産婦人科の診察のときに、一度聞いてみたが、「オハイオ州立大病院ではほとんど切らないよ。裂けるのを縫うんだよ」と言っていた。


「ひどく裂けてますか?」と聞くと、先生は「いやいや、普通だよ」と言う。


赤ちゃんは体重測定をし、綺麗に体を洗われて、新生児室に検査のため連れて行かれた。7ポンド1オンス。(3200グラム。)身長は52.5センチ。超音波で見たとおり、手足の長い子だった。妊娠中はかなりお腹が大きかったし甘いものもたくさん食べたため、4キロぐらいの巨大児だったらどうしようと思ったが、普通のサイズでほっとした。


先生に、胎盤を見せてほしいと頼んだ。容器に入れられていたものを取り出して見せてくれる。びっくりするほど大きかった。へその緒も青くとぐろを巻いているような感じで。妊娠中、ずっと赤ちゃんの子守りをしてくれていたんだね、ありがとう、と胎盤に不思議な感情が沸いてきた。


分娩・出産室から病室への移動前、トイレに行き、ナースに下の縫い目のケアの仕方を教えてもらう。まず、温水で患部を洗い、痛みを和らげるスプレーをかけ、使い捨てのパンツに分厚いパッドを敷き、さらに冷やすためのでっかいパッドを置き、その上にwitch hazelのパッド(これも冷やすため)を敷き詰めたものを着用する。トイレで用を足すように言われ、やってみるが、麻酔のため、まったく尿が出せない。目を便器の中にやってみると、おびただしい血が見える。ナースに「びっくりしないでね」と言われる。出産ですごい量の血がなくなったんだろうなあ。いきんでいる間も、ずっと出血し続けていたというし。


続いて、車椅子で、病室に移動する。叔母と夫も一緒に移動。やっぱり、出産はサポーターがいてくれないと乗り切れるものじゃないなぁと実感する。部屋に着くと、猛烈な空腹感と喉の渇きを感じ、一気に水と叔母のお弁当を平らげる。


赤ちゃんがおくるみに包まれて、病室に連れて来られる。静かに眠っている。小さくてかわいい!


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家族・友人が安産祈願をしてくれていたのですが、5時間ぐらいですぽーん、と産む、というわけにはいきませんでした。難産の部類に入るかと思いますが、でも無事に赤ちゃんが産まれて本当に良かったです。終わりよければすべてよし。All's well that ends well.


入院の様子は次に続きます。


 

出産レポート[その1]

8月18日(日)午後9時57分、オハイオ州コロンバスのオハイオ州立大病院(Wexner Medical Center)にて、無事長女を3200g, 52.7cmで出産しました。人生で、最もドラマティックな一日となりました。


8月16日の出産予定日に産まれなければ、18日に陣痛促進剤を使って出産する、ということになっており、前日から落ち着かない日となりました。同じく陣痛促進剤で出産した友人からは、「とにかく前の日はエネルギーを蓄えておかないとだめ。たくさん、こってりしたカロリーのあるものを食べて」と言われていました。彼女は前日の夜9時と当日朝の3時に重めの食事をして臨んだそうです。ところが、私が聞いた病院の話では、「直前はあまり重いものを食べないで、軽食程度に」ということでした。うーん、今思えば、軽食にとどめず、もっと食べておけばよかったかなぁ、と思います。とにかく陣痛促進剤による分娩は長丁場になるし、途中飲食はできないので、エネルギーが切れてしまって、かなり疲れました。


それでは、時系列を追って、私の出産経験を振り返ってみたいと思います。


 


8月17日(土)


一日リラックスして過ごし、夜はサーモンのステーキを食べる。夜は11時頃ベッドに入るも、あまり眠れず。


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8月18日(日) 午前2時


手伝いに来てくれている叔母が起き出し、病院に持って行くお弁当のためのおにぎりとサンドイッチ、卵焼きを作り始める。出産に行く感じではなく、なんだかピクニックにでも行くような感じだ。私も起床し、シャワーを浴び、身支度をする。


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午前3時


昨晩はしっかり食べたつもりなのに、既にお腹がすいており、グリーンスムージー、おにぎりを5個と卵焼きを食べる。まだ食べられそうな感じだが、その辺でおさえる。トイレに行くと、大量に「おしるし」がある。


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午前4時


まだぐーすか寝ている夫を起こす。


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午前4時半


入院のための荷物を持って、夫と叔母と3人でまだ暗い中、車で病院へ向かう。3人ともやや緊張気味。


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午前5時


病院の6階でチェックインする。陣痛促進剤で産む場合は、もし病室が空いていなかったり、急に産気づいた人がいた場合は、後回しにされて待たされると聞いていた。友達は4時間待ちだったそうで、その間にまたおにぎりを食べられるだろうと思っていたが、甘かった。何も食べる時間もなく、私はすぐに陣痛分娩室に通される。OSUの陣痛分娩室は個室でシャワー、トイレ付き、ソファ、椅子などがあり、かなり広々とした空間。すぐに病院のガウンに着替えてベッドの上へ。


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午前5時15分


ルーティンの質問を色々される。アレルギーの有無の確認など。さらに「何かあった場合のため、遺言はありますか」と聞かれ、度肝を抜かれる。そういう質問をする決まりになっているのだろうけど、産む前から「遺言は」などと言われても・・・。やはり出産は命がけなんだなぁ、などと思いながら、「別にありません」と答える。続いて、「今日はジュエリーを持ってきていますか。カバンの中、身につけているものなど」と聞かれる。「結婚指輪だけです」と答える。盗難に遭った人でもいるのだろうか。それとも、出産で命を落としたときに誰にジュエリーをあげるか、という問題だろうか。


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午前5時半


出産まで何も飲み食いはできない。脱水症状にならないようにするため、腕にIVを入れ、そこから点滴で水分(生理食塩水?)を入れる。なんだか腕がすうーっと冷たくなる感覚がある。腕に針がずっと刺さっているのはどうにも不快だ。でも、いざ陣痛が起こったら、その程度の違和感はどうでもよくなるのだろう。


続いて、陣痛促進剤を合わせて点滴で入れ始める。


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午前6時


なんだかチャラいにーちゃん風のインターン(?)の医者がやってくる。子宮口の開き具合を確認する。4センチ。立ち会っている叔母曰く、「清掃のおにいちゃんかと思ったわ」。超音波で赤ちゃんの頭が下に来ているかを確認。一瞬で確認終了。無事に頭が下になっている。よかった。逆子ではないので、下(経膣)から産める。


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午前7時


若いナースが時間交代になり、ベテランの体格のいいナース(おそらく助産婦)と代わる。こちらのほうが信頼が置けそうな感じなので、ほっとする。ナースは12時間シフトだと言っていた。「また午後7時に来るから」と言い、その場を去る。その時までには産んでいるのだろうか。それとも、まだ産まれていないのでまたこの若いナースのお世話になるのだろうか。


ベテランナースが「氷持ってきましょうか。あなたが飲み食いできるのは氷だけだから」と言うので、持ってきてもらう。点滴で水分を入れているので、意外に喉の渇きは少なかったが、冷たい氷が心地良かった。


叔母、緊張して目が回るのでソファで横になる。夫、寒いので私が持参したユニクロのフリースひざ掛けを肩からかけ、スマホにダウンロードした本を読み始める。ここからひたすら、陣痛促進剤が効いてくるまで待つ時間。


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午前9時


次第に陣痛促進剤が効いてきて、最初は数十分に1回、陣痛がある。痛くはない。よく妊娠後期に寝ているときに、子宮の収縮を感じたが、その感じに似ている。お腹がきゅーっと固くなる感じ。


叔母と夫、おにぎりを食べ始める。「(私は)食べられないのに、目の前で食べてもいい?」と気を遣ってくれる。叔母は横になったり、本を読んだり、部屋の外の待合室に行ったり。夫は本を読み聞かせてくれる。


トイレに行くのも、点滴をつけたままなので一苦労。


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午前11時


夫が本を読み聞かせてくれるが、あまり頭に入らない。


陣痛が10分間隔になったのがわかる。スマホのメモ帳に、陣痛を感じた時間を記録してみる。この時はまだ余裕があり、痛みはそれほどない。モニターには、赤ちゃんの心拍数と私の陣痛が映し出されている。別室のモニターも映っているが、赤ちゃんの心拍数がすごい動きを見せている。私の赤ちゃんのほうは、すやすや眠っているらしく、ほとんど心拍数の変化がない。


時々ナースが入ってきて、「赤ちゃんの心拍数を動かしましょう」と言って、私の姿勢を30分に一回ぐらい、変えるように言う。お腹が重いので、横向きになっているのもなかなかつらい。


産婦人科での毎週のノンストレステストでも、私の赤ちゃんはなかなか動こうとしないときがあったから、よく寝る子なのかもしれない。姿勢を変えても、あまり心拍数は変わらない。


点滴のせいか、トイレに1時間半に1度はいきたくなる。


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午後1時


叔母と夫、ランチを食べる。私はひたすら氷を食べる。氷が解けると、夫が新しい氷を持ってきてくれる。


子宮口は6センチぐらい開き、陣痛は5分間隔ぐらいになる。ナースは「痛みはどう?いつepidural(「無痛分娩」のための、背中から入れる麻酔薬)をしますか」と、入ってくるたびに聞く。「まだぜんぜん耐えられる程度です」と答える。陣痛の痛みってこんなもんなのかー、たいしたことないなー、このぶんならepiduralをしなくても出産できるかも!?と、この時は、甘く考えている。ナースは「破水の後は急に痛みが増すのよ。その前にepiduralをしたほうがいいわ」と言う。


暇なので、スマホで音楽を聴く。


トイレに行く。ナースは数十分に一度、かなり頻繁に部屋に来てこまめに様子をチェックしてくれている。


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午後2時


うつらうつらしながら、1時間〜1時間半ほど寝入る。陣痛は5分間隔のまま、痛みはたいしたことはない。赤ちゃんの心拍数は相変わらず一定していて、やや心配になる。ただ、よく寝る子だ、ってだけならいいんだけれども。


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午後3時


うとうとする。陣痛は3分か4分間隔になる。ナースに「そろそろepiduralをしますか。先生がこれから人工的に破水させるので、その前に」と言われ、「はい。」と答える。ナースが麻酔科の先生に連絡を取る。「epiduralを受ける準備ができました」と言っている。


ナースが「アイスキャンディでも食べますか」と聞いてくるので、「はい!」と答える。おなかがすいておなかが鳴っていた。「オレンジとチェリー、どれがいい?」と言うので、「じゃあ、オレンジで」。


オレンジのアイスキャンディを食べる。普通のアメリカの安いロリポップが、こんなにおいしく感じるとは思わなかった。


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午後4時


陣痛3分間隔。子宮口は7センチぐらい開いている。突然、生暖かいものが中から外に溢れるのを感じる。止められない。あとからあとから流れ出てくるかんじ。「破水した!」とわかる。ナースに伝えると、「先生が破水させる必要なくなったわね。破水後は痛みが増すので、すぐにepiduralをしましょう」と言われ、ベッドに敷いてあるシートを取り替えてくれる。


陣痛が起こる。すごい痛みに、思わずうめく。本当だ!破水後の陣痛って、こんなに痛いんだ!心配そうな夫の手を握り、耐える。3分間隔でやってくるのでたまらない。「いますぐepiduralしてください!」と思わずナースに頼む。


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午後4時半


間もなく麻酔の先生たちがやってきて、epiduralの説明をしてくれる。同意書にサインをする。背中に麻酔針を打ち、薬をつなぐ。その間にも、陣痛が絶え間なくやってきて、痛みにひたすら耐える。片足だけが感覚がなくなる感じがする。ほどなくして、陣痛の痛みがやわらいできたのを感じる。


手元にはボタンがあり、15分に1回、痛みがひどいときにボタンを押せば、さらに薬が入って、痛みを緩和することができるからね、と説明を受ける。「グリーンの光が光ってるときに押せるからね」と言われるが、光がどう見ても黄色なので「黄色いんですけど、グリーンの光もあるんですか」と聞く。


「あ、これグリーンじゃない?何でもいいや、とにかく、光っている間は押してもいい、ってことだから」と先生。


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この時はまだ、本当の陣痛の痛みがどんなものか、知る由もありませんでした・・・。


分娩はすでに12時間に渡っていました。


次回に続きます。


 

40週0日(出産予定日)

とうとう出産予定日になってしまいました。前回のノンストレステストが最後と思ったら、またもう一度やる羽目になるとは思っていませんでした。初産はなかなか生まれないとは聞いていたものの、36週からすでに子宮口が3センチ開いていたし、かれこれ「おしるし」があってから2週間近くになるので、まさかここまで引っ張るとは・・・と言う感じです。


というわけで、1ヶ月間、家事を手伝いに来てくれている叔母と一緒に産婦人科へ行き(出産予定日でも平気で運転)、ノンストレステストを受け、2日後に迫ったinduced labor(陣痛促進剤による出産)の説明をもう一度担当医から聞きました。帰りは、先週行って気に入ったイタリアンレストランでランチを食べ、買い物もして帰ったのですが・・・


どうも酷く疲れていて、ここ最近は控えめだったお昼寝を久しぶりにしました。気持ち良かった〜。


そうこうしている間に午後6時を過ぎたので、叔母は夕飯の支度を始め、私はベッドのシーツやタオルを洗うことにしてランドリールームへ。部屋へ帰ってきて、そういえば喉が渇いたと思い、水を2杯ほど飲んだところで、何やら腹痛を感じ始めました。


ん?お腹痛いなー。下痢の痛みっぽいなー。(ここから先、至って真面目ですがやや汚い話になります。)


そう思ってトイレに行くと、ここ何年も感じたことのないような、下痢の痛みに襲われました。トイレに腰掛けていると、顔から胸元から、しまいには体全体から脂汗とも冷や汗ともつかぬような、大量の汗が流れ出てきました。吐き気までもよおし、トイレに腰掛けながらいかにして嘔吐をするかを考えていました。洗面器が目に入り、そこまでも間に合わないかもしれない・・・などと考えつつ、痛みに耐えつつ、その痛みの原因である「モノ」を出そうとするのですが、出ません。


そこで、はっと気付きました。


そういえば、色んな人のブログで、出産前の陣痛の始まりが、下痢の痛みにそっくりだった、って読んだ!


どうしよう・・・これ、陣痛なのかな。


陣痛の始まりに気付かない人もいるというし、普段から生理痛になったこともない私なので、陣痛を感じるにもややにぶいのかもしれない。


どうしよう・・・下痢の痛みだけど、いまいきんだら、赤ちゃんが出てきちゃうかもしれないし、でもお腹は痛いし・・・。そんなことを考えながら、トイレで苦しむこと20分。


「うんち」を出産しました。


なんだ、下痢じゃないじゃん!やっぱりこれは陣痛?それにしては、痛みの波が来る間隔が1分ぐらいで、そんなに早く陣痛が進むわけないし・・・。


それから10分後、「下痢」も出産しました。しかも大量に!(汚くてスミマセン)


もう、トイレの水を4回ぐらい流さないといけないほどでした。脂汗で顔も体もびっしょり。良かった、陣痛じゃなかった・・・(陣痛なんかいつでも来い!と豪語していたわりには弱っちい私)


ともかく、痛みが本当に下痢だったのは良かったのですが、万が一、陣痛の始まりだったりするといけないので、すぐに病院に行けるよう、シャワーを浴びることにしました。シャワーを浴びている間にも、また下痢の残党による痛みがやってきて、一回中断しなければならなかったのですが、何とかシャワーを終えて、髪の毛も乾かし、着替えも済みました。


せっかくおいしい料理を作ってくれた叔母には申し訳なかったのですが、ご飯はとても今は食べられないと伝えて、夫と叔母と二人で食べてもらいました。通訳(私)がいないながらも、夫のスーパー速いアメリカ英語と、叔母のドイツ語混じりのへんちくりんな英語(叔母はドイツ語はぺらぺらですが英語は初心者)とで、どうにか会話が成り立ったようです。叔母はドイツ暮らしが長いので、外人慣れしており、へんな英語でも、全く臆することなく誰にでもしゃべりかけてしまう姿勢はすごいなあと思います。私だったら、逆の立場だったら、やや人見知りしてしまいます。


さて、下痢出産事件から2時間が過ぎましたが、今のところ平和です。色々ネットで調べていると、出産前に下痢になる人は思った以上に多いようでした。出産に関係するホルモンが、赤ちゃんが産まれやすいように、大腸の中も空っぽにしようと働くのだそうです。ついこの間は珍しく便秘に悩んでいたので、大腸がすっきりしたのはありがたいのですが、これ、もし陣痛とともに下痢がやってきたら、確実に死にます。


とうとう「予定日」にも産まれず、まだお腹の中でぐるんぐるん動いている赤ちゃん。早く出ておいで〜。


 


 

39週0日

あと1週間で予定日です。ということは、今日は最後のノンストレステスト!


赤ちゃんの心拍数も、動いたあとにきちんと上昇しており、まったく問題ありませんでした。すべての数値も順調。妊婦が高血圧になるのはよくあるみたいですが、ルイボスティーのおかげか、ずっと、上は112とかそんな程度で、問題なし。臨月に入って体重増加があまりなくなり、ここ3週間ぐらいはほとんど変わっていません。そんなことは今までの妊婦生活で一度もありませんでした。2週間で1キロ増加、とかそんなペースで・・・。日本の産婦人科だったら怒られるレベルだと思いますが、アメリカのお医者さんも看護婦さんも優しいから、誰も怒りません。母子手帳に「体重増加注意!」なんていうスタンプを押されることもないし。あー、アメリカで良かった。


おしるしもあったことだし、子宮口も3.5センチに少しだけ広がったことだし、あとは陣痛を待つばかり!でもこれがなかなかこないのですよ。


36週で子宮口が3センチ開いていたときには、もう自分はたぶん、38週ぐらいで産んでしまうに違いない、と確信していたのですが、気付くと39週に突入。今じゃあ、本当にあと1週間以内に陣痛来るんだろうか!?って感じです。


今日は、予定日までに陣痛が来なかったら、その2日後の18日に、陣痛促進剤を使って出産しよう、という話は担当医としました。でも、陣痛促進剤を使うと普通より長引く上に苦しくて痛い、っていうし、やっぱり自然に陣痛が来てほしいです。


今日は家族や友人にたくさん頂いた、ベビー服をぜんぶ水通ししました。生地をやわらかくし、赤ちゃんにとって着心地を良くする為、あとはホコリや糊がついているのを取るためでもあります。


入院準備も終わったし、もういつでも来い!って感じです。

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