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Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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大学院卒業

博士論文をどうあっても3月までに終わらせ、4月にオーラルディフェンスと論文提出、そして5月に卒業するために、ブログのほうは半年以上お休みしておりました。その間にも、色々な方がコメントを下さったり、ブログを読んでくださったりしていたようで、有難い限りです。


おかげ様で、昨日、無事にPh.D.を卒業しました!6年かかりました。出産がなくても5年で終えるのはきつかったかな?やっぱりこのぐらいかかったと思います。同じ時期に入学した人で、4年で終わらせた人もいます。でも同じプログラムで9年かかって卒業した人もいるし、これから9年目を迎える、という人もいるので、自分としてはよくやったと思います。もちろん早ければいい、ってもんではなく、質が重要ですが。1本、博士論文のチャプターを出版することもできたので、上々だと思います。


出産後はとにかく毎日どうやって博士論文を執筆する時間を確保するかの戦いでした。基本的に、娘が昼寝か夜寝をしている時間しか執筆できないので、一時期、夜2時ぐらいまでまったく寝てくれなくなった時期は、本当にストレスがたまりました。その頃の私が聞いたらおどろきますが、今は夜8時か9時には寝てくれるようになりました。


いったいどうやって時間を確保したのか自分でも思い出せないぐらいですが、3月には書き上げて、4月9日に無事オーラルディフェンス(2時間に渡る口頭試問)をすることが出来ました。アドバイザー2名、コミティーメンバー2名、大学院から送られてきた教授1名、の計5名の教授の前で、自分の博士論文についてプレゼンをしたあと、数々の質問に答えるというものです。私の場合コミティーメンバー1名は外部の大学の教授なので、スカイプで参加して頂きました。鋭い質問もありましたが、無事終えることが出来ました。その後の論文の手直しのために録音することが許可されています。実際のディフェンスの最中というのは、とにかく一生けん命なので、うまく切り抜けているかどうかまで自分で分析できないものですが、家に帰って聞いてみたら、なかなかうまく答えていたのでほっと一安心しました。


ディフェンスでかなりの手直しを命じられると、その学期に卒業できない、ということもありうるのですが、私の場合は、4か所ぐらいの軽い手直しで済みました。次の週が締切だったのですが、2〜3日まだ余裕がある段階で、博士論文を提出することができました。提出したときは、とにかくほっとしました。


こうして晴れて昨日PhDを授与されました。卒業式は昨年夫が卒業したときのような良いお天気とは違い、ものすごい強風が吹き荒れる中行われました。おかげで珍事続出・・・。また卒業式の様子は後日別記事で書きたいと思います。


娘は8か月半になり、すくすくと成長、ちょうど10kgになりました。生まれたときは3200gだったので、3倍以上!生後6か月ぐらいまでは、ものすごい勢いで体重が増えていき、母乳しかあげていないのに体重・身長ともに99パーセンタイルでした。(同月齢の赤ちゃんとの比較で、一番上が100、一番下が0とした場合の数値で、要するに99パーセントの同月齢の赤ちゃんは娘より体重が少なく身長が低いということです。)


今も主食は母乳ですが、このところ、あまり食べてくれなかった離乳食もバクバク食べてくれるようになりました。6か月ぐらいからずり這いしていて、8か月になる頃からちゃんとしたハイハイができるようになり、今ではすごい速さで家じゅう、どこにでも行ってしまうので、目が離せません。ハイハイと同時につかまり立ちもしているので、あわてて色んな危ないものを移動したりしていますが、毎日新しいものを見つけてはそれで遊ぶ(=噛んだりなめたりする)ので、フロアランプのコードとかなかなか移動しようのないものは、見つけたらすぐに取り上げる、の繰り返しでこちらもへとへとです。育児の様子はほとんど記事にしていませんが、また気が向いたときに色々書こうと思います。


 

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2013年春学期のCommencement(卒業式)

OSUに5年もいるのに、今まで一度もまだOhio Stadium(オハイオ州立大はフットボールが強いのですが、キャンパスにある11万人収容のフットボールスタジアムです)に足を踏み入れたことがありませんでしたが、今日、ついに、入場してきました。


青空にうっすら雲がかかるいいお天気ですが、5月に入ったのにまだ肌寒い一日。今日は、夫が博士号を授与される日なので、6時半に起床し、揃って出かけました。卒業生は8時半、その家族などのゲストは7時半に集合。卒業式は12時からなのに、はやすぎないかい?と思いましたが、私たちが着いた頃には、すでにたくさんの人が集まっていました。


12年越しのボストン・レッドソックスファンの私は、野球場は見慣れていますが、フットボールスタジアムは初めてです。


オハイオ州コロンバスは特にフットボール王国で、MLBのチームも無いし、私にとってはちょっと詰まらないのですが、やはりOSUの学生なら一度はフットボールの試合を見てみたいとは思っていました。でも、チケットがものすごく高額なんですよね。この値段なら、レッドソックスの試合が2試合は見られる・・・と思い、まあルールもよくわからないし、フットボールはもういいか、と思うに至り、いまだにスタジアムには足を踏み入れたことがなかったのです。


入ってみると、いくつか売店が並んでいて、あまり種類もありませんが、飲み物や食べ物を売っています。雰囲気的には野球場と同じような感じ。


早起きしたので小腹がすき、まずは腹ごしらえをすることに。といってもチョイスが、ナチョスかホットドッグぐらいしかない!とりあえずホットドッグ(3ドル)とペットボトルの水(2ドル)を買い、野球場の価格よりはなかなか良心的だ、などと思いながら席につきました。お味もまあまあでした。ボストンのフェンウェイ・フランクには負けるけどね。セクションは決められているのですが、席は自由で、私がスタジアムに入ったのはまだ8時だったのに、既に前のほうはすべて埋まっている状態でした。


11万人収容と聞いて、どれだけ大きいんだろうと期待して行ったのですが、ボールパークを見慣れている私にとっては、あまり大きく感じませんでした。やはり、野球場のほうが、オープンスペースが広いし、芝生が広がっていて、開放感があるんですね。フットボールスタジアムは四方が席で囲まれているので、そのぶん狭く感じたのかもしれません。実際には、前方のステージに乗っている人はまったく見分けもつかなければ、形もわからないほどだったので、かなりの大きさであるとは思います。



会場には卒業生の席が用意され、左側(前方)にはステージがあります。


待つこと4時間、12時前になってようやく卒業生入場。後方からは学部生とマスター、前方からはPh.D.学生と学部生が入場してきました。



Ph.D.はステージ最前列で扱いが違います。一人一人、ステージ上で、学長からディプロマを授与されます。その際、スタジアム後方の画面には、壇上の様子とともに、卒業生の名前と分野がキャプションで出されます。もう別格ですね。学部生とマスターは、個別に名前を呼ばれたりはしないし、ディプロマも学長から授与されたりはしません。(卒業式当日にはもらえますが。)


赤いガウンがPh.D.で、学部生とマスターは黒です。もう質感がまったく違う素材で、赤いガウンはやはり立派に見えます。私が着られるのは12月かなぁ〜、それとも来年の5月か・・・。


卒業生全員が席に着くと、このような感じに。



卒業生だけで、1万人超。その中でも、Ph.D.は250名ほどです。


今回の卒業式の式辞はオバマ大統領。過去のOSUの卒業式でスピーチをした大統領は4人(フォード、ブッシュ父、ブッシュ、クリントン)なので、5人目になりますが、現職の大統領としてはフォード、ブッシュに続いて3人目になります。ユーモアも交えながら、30分近く話していたでしょうか。何も見ずに!そして流れるような雄弁なスピーチ。やっぱり彼をしのぐスピーチ力の人は、アメリカ人にもそうそういないと思います。もっとも、そういう、人を引き付けるスピーチ力がないと、大統領にはなれないのでしょうけれども。



オバマ大統領は、ハーバードで法学のドクターは持っていますが、今日、スピーチのあと、OSUの法学の名誉博士号も、OSUの学長から授与されました。


その後、Ph.D.学生が全員、一人一人名前を呼ばれて、壇上で学位を授与されました。夫が授与される様子をしかと見届けたのち、いい加減数時間の待ちで疲れていたので、スタジアムをあとにし、夫と駐車場で待ち合わせ、写真と撮って、夫の好きなメキシカン料理の店に行ってたらふく食べたあと、家で昼寝。よっぽど疲れていたのか、夫ともども、夜の8時頃まで4時間ほど寝込んでしまいました。


結局なんとなく一日、時間が過ぎ去ってしまい、肝心の自分の博士論文の執筆はできませんでしたが、卒業式に参加してみて良かったです。自分の卒業式は春ではなくて秋(12月)かもしれないので、そうすると、スタジアムに入ることなくOSUを卒業することになってしまうし。これで、心おきなく、秋の卒業も目指せます。


Congratulations, Class of 2013!

ようやく春学期も終わり

OSUもセメスター制になって、春学期が長くなりました。今までのクウォーター制では1月〜3月が冬学期、4月〜6月が春学期だったところが、冬学期が消えて、1月〜4月が春学期になったので、どうも、学期がなかなか終わらない感じでしたが、ようやく終わりました。


今学期は普段の学費免除のためのgraduate associateの仕事のほかに、ボランティアTAも週1回やっていたので、それの準備に時間がかなり取られ、肝心の博士論文がなかなか進まない、という状況でした。そのための不安感からか、妊娠ホルモンのためか、1ヶ月半ぐらい不眠症に襲われたり、そういえば体調も2度ほど崩しました。


加えて、3月のAAAL(全米応用言語学学会)での学会発表、4月にはあるクラスに招かれてのレクチャー、4月のボランティアTAをしていたクラスの最後のセッションでプレゼン、そして明日から参加するサンフランシスコでのAERA(全米教育学会)での学会発表、とやたらプレゼンをする機会が多く、そのたびに準備と練習をしていたので、さらに博士論文にかける時間が少なくなってしまいました。


博士論文の執筆って、細切れの時間のつぎはぎでは無理なんですよね。


1週間なり2週間なりのまとまった期間、それ以外何もしないぐらいの感じで、書いていかないと。一度やってある程度まで書いても、学会の準備などが入ると、そのあと、すぐにその続きから取り掛かるのにエンジンがなかなかかからないような気がするのです。私だけかな?


AERAが5月1日に終われば、これでやっと、博士論文だけに集中できるので、ここから出産までの3ヶ月こそは、何としても頑張ってproductivityを向上させようと思います!


とりあえずは明日からの旅行準備と、プレゼンの練習をしないといけないのですが・・・。


 


 

プロポーザル・ディフェンス

ここしばらく重荷になっていた、博士論文のプロポーザル・ディフェンスがようやく終了し、肩の荷がおりました。


ディフェンス(口頭試問)はアドバイザーとコミティー・メンバーの教授、計4名と行うのですが、だいたい2時間の予定で、もともと渡してあるプロポーザルについて質問を受けたり、教授のほうからアドバイスをもらったりする場です。


どのように行うのか決められているわけではないので、この2週間は何となく気が重く、最初にまずプレゼンを求められてもいいように、その練習をしたり、想定される質問を考えて、それに対して答える練習をしてみたりしていました。


本当は3月と4月にある学会発表のための論文を書き始めないといけなかったのですが、まずディフェンスが終わるまではなかなかそちらにも集中できない感じで、少しずつストレスだけが何となくたまっていった、という感じでした。


が、実際終わってみると、予想していたような質問はなく、予期しなかったところを突っ込まれたりもしましたが、無難に乗り切りました。まずプロポーザルはよく書けているというふうに教授たちからも褒めてもらえたのと、今後の方針についてなかなか良いアドバイスもたくさんもらえたので、やってみて良かったと思います。プロポーザル・ディフェンスは、やってもやらなくてもいいようなのですが(特に自分の国に帰ってデータを収集するような留学生は、ディフェンスをする前に帰国のタイミングになってしまうので、やらずに帰る場合が多いです)、やはり、本番の博士論文のディフェンスの前に、一度全員で集まっておくことは、意味があると思いました。


特に私の場合は、言語教育のプログラムにいるにも関わらず、社会学的なリサーチ・プロジェクトなので、コミティー・メンバーの中には、あまり私の使っている枠組みに明るくない人も含まれているので、そういう教授のために、色々な質問を受けて、クリアにしておくことが必要だったわけです。


日本から12月末に帰ってきてからしばらくは、超朝型人間だったのですが、いつのまにかまた夜型人間になっていました。それを朝型に戻すため、先週から、夜は何時に就寝したとしても、朝は7時までに起きるように頑張ってきたのは、このディフェンスが朝9時からだったためです。朝はまあ、無理やり起きていましたが、一日中頭痛がしていたり、日中眠いのに夜になるとまた目がさえてしまって眠れなかったり、けっこうストレスをどこかで感じていたような気がします。


ここからは、データの分析に取り掛かるのと、論文を書き始めなければならないのですが、とりあえずは、プールに行って泳いでこようと思います。


あ〜無事終わってよかった!


 

プロポーザル完成

しばらくご無沙汰でした。


1月中からずっと、博論のプロポーザルに取り組んでいて、忙しくしておりました。


博論のプロポーザルというのは、博士論文でどのような研究をするのか、という計画書みたいなものです。これからこういう研究をしますよ、ということをアドバイザーおよびコミティー(博士論文委員会)に提示し、承諾をもらう、まあいわゆる契約書みたいな働きをします。


Educationの分野では、オーソドックスな形だと、実際の博士論文の1章〜3章まで、120ページぐらいを執筆することになります。その中には、今までの先行研究の問題点、研究されてこなかったこと、それを何故自分が研究する必要があるのか、社会的にどのような意味があるのか、具体的にどのような方法で、どのようにデータを収集し、どのようにデータを分析するのか、ということを詳述することが求められます。


オーソドックスな章立てのプロポーザルだと、いわゆるquantitative methodsを使ったexperimental studyならばぴったりくる形なのですが、実際にデータを収集してみないと方向性が定まらない場合があるqualitative methodsを使った研究では、あまり意味を成しません。というのは、もちろんプロポーザルを書く前にも相当、先行研究は読んでおかねばならないのですが、データを収集したあとにも、かなりliterature reviewをしなければならないし、ラボでの実験ではなく、人間相手の研究なので、予定通りに行かないことも多いためです。よって、1〜3章をプロポーザルで書いても、実際の博士論文では8割ぐらい書き直さないといけない、ということにもなりかねないのです。


よって、私の場合は、qualitative methodsの専門家である私のアドバイザーの方式に従って、必要なエレメント(研究問題点、目的、研究方法等)はすべて入れながらも、ずっと簡潔に、35ページぐらいにまとめたプロポーザルを出すことになりました。といっても、より簡単な方法、とも言い切れません。英語というのは長い方(説明的になる書き方)がラクだともいえます。物事を簡潔に的確な言葉でまとめるほうがずっと難しいのです。でもまあ、読む方のコミティーとしては、短い方がラクではありますが。


何度か修正を加えた後、アドバイザーからOkをもらい、さきほど、コミティーの教授(3人)にプロポーザルをメールで送ったところです。とりあえず一息。あとは2週間後の口頭でのディフェンスに備えるだけです。


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オハイオも1月は暖冬でほとんど雪も降らず、春めいた日々が続きましたが、ここに来てぐっと冷え込みました。今日・明日ともマイナス11度まで下がるようです。


 

最後のウィンター・クウォーター


Ohio Unionのロビー。Oはオハイオ州立大の校章です↑


 


今日はWinter quarter (冬学期)の初日です。


私はもう科目履修を終えたpost candidacyの学生であるので、授業はありませんが、今日は初仕事です。


この日を特別な思いで迎えるのは、今日がオハイオ州立大の歴史の中で最後のWinter quarterだからです。アメリカの大学のほとんどがsemester制度(二学期制)を用いています。オハイオ州立大は、それと異なり、クウォーター制度(四学期制)を使ってきましたが、今年の春でそれは最後になります。今年の夏からは、セメスターに移行するので、秋学期(8月〜12月)と春学期(1月〜5月)、そしてサマーセッション、ということになります。よって、「冬学期」と名のつく学期はなくなります。


私が修士留学していたボストンの大学ではセメスター制だったので、オハイオに来てクウォーター制の中で授業履修をしてみて、とにかく忙しいという感覚でした。セメスターはだいたい15週、クウォーターは10週ですが、オハイオの大学院の場合、10週しかないのに内容的には15週分を詰め込んでいるようなものだったので、常に課題に追われている記憶しかありません。


学期中は、何か他の活動をする時間もないし、もしバイトやリサーチ活動などしたとしても、殺人的なスケジュールになるので、ファイナル(期末試験の週)が終わるとふらふら、という状態でした。


それにしても、日本なら1月3日はまだ三が日なのに、アメリカは新学期。冬休みに日本に帰っても、セメスター制の大学なら1月半ばまで日本にいられますが、クウォーター制の場合は元旦にアメリカに戻るとかそんな感じになります。


さて、それでは仕事に行ってまいります。

新年の抱負

一年の始まりを迎え、研究者として、今年はどんな年にしようか考えています。


 


昨年を振り返ってみると、ちょうど今頃は、いよいよ始まるcandidacy examの準備に大忙しでした。やる予定のことが出来ていないものももちろんあるのですが、概して見れば、様々な人の助けを借りながら、実り多い、順調な一年であったと思います。


1月〜2月 candidacy exam ペーパー試験で論文135枚ほど書き上げる


3月     candidacy exam 口頭試験に合格、晴れてPh.D. candidateになる


3月末    シカゴで応用言語学学会(AAAL)でのプレゼン


4月         全米教育学会(AERA)参加


5月     博士論文の研究のためのグラント(研究助成金)の申し込みとIRB書類作成


6月     IRBの認可が下りてからはデータ収集を始める


7月     無事グラントが下りる。2012年のAERA学会プレゼンのための論文提出


8〜9月   2012年のAAAL学会プレゼンのための要旨提出。データ収集続行


10月    IRBの修正のための書類作成をし、修正の認可が下りる


11月     AAALもAERAも次年度の学会プレゼンが認められる。データ収集続行


12月    日本帰国。日本でのデータ収集も完了


 


反省点としては、論文出版が様々な事情により出来なかったこと。データ分析までは進めなかったこと。


2012年の抱負は


1.冬学期の早めの段階に博士論文のプロポーザルを提出すること。


2.3月のAAAL(ボストン)、4月のAERA(バンクーバー)で発表する論文を冬の間に仕上げること。


3.学会発表した論文に磨きをかけて、雑誌論文を出版すること。


4.アメリカでのデータ収集を完了させ、データ分析を8割方完了させること。


 


1年てけっこう短いけれど、意外に色々なことが出来るものだと思うので、一つ一つ頑張ろうと思います。

AAAL学会発表も決定

10月にはアメリカの教育研究関連では最大かつ最高権威の学会、AERA (American Educational Research Association) での初プレゼンが決まったのですが(→「AERAでの学会発表決定:来春はバンクーバー」)、それよりは通るのは難しくはないはずの応用言語学の全米学会、AAAL (American Association for Applied Linguistics) からのプロポーザル採用通知がなかなか来なくて、やきもきしていました。去年は10月半ばには通知が来ていたのに。


今年度は3月にシカゴでAAALが開催され(→「シカゴでの学会参加」)初めての学会プレゼンテーションをしたのですが、来年度の開催地は何とボストン!何としても参加したいと思っていました。ボストンは2000年〜2001年に修士留学で暮らした街だし、何より大好きなボストン・レッドソックスの本拠地。ボストン人は西海岸の人やニューヨーカーと比べても、よそ者には概して冷たいけれども、ボストンはチャールズ川が流れ、町並みはヨーロッパ調でとても趣きのある綺麗な町です。


11月に入って何日か経って、ようやくプロポーザルが審査に通ったという通知が来て、来年3月はボストン(AAAL)、4月にはバンクーバー(AERA)でのプレゼンが決まりました!!楽しみだなぁ


 


今回は前回とは違った経験になりそうです。この前のシカゴでのプレゼンの時には、教授のリサーチプロジェクトの一環として私が集めたデータを使ってのミニ・スタディの発表だったので、なかなか自分のリサーチ、という気はしなかったし、無難にまとめたものの、自分としては出来もいまいち


 


何しろ、発表した論文に磨きをかけて学術誌に投稿しようと思っても、(自分が集めたデータのみしか使うことができないため)データが十分ではないので教授からもOKがでず、出版できずじまいでした。あんなに何ヶ月も費やして書いたのに・・・。まあ、方法論的に欠点が見える論文というのは(リサーチ方法に問題があるとかデータが不十分であるとか)、いくら中身がすばらしくても、出版するわけにはいかないのです。これがこの世界のシビアなところです。でも今度は、完全に自分のリサーチで、すべてのデータは自分で収集したものなので煮ようが焼こうが自由です。これは自分の博士論文に使うデータの一部ですが、それでももうすでにデータ量も膨大なので、うまく理論的枠組みを作って緻密な分析さえできれば、学術誌に出版できるレベルの論文を書くことも出来ると思っています。


同じ論文を違う学会で発表することはできないので、当然、2本の論文を書かなければいけないので、冬はかなり忙しくなりそうです


 


なんかcandidacy examが終わってABD(=all but dissertation; 科目履修を修了し、試験に合格して、卒業まで博士論文を残すのみとなったPh.D.の学生のこと)になったら、急に「研究者」っぽくなった気がする今日この頃です。まずはあと2週間半後にせまった日本一時帰国までの間に、できる範囲で、この山積したインタビューデータの書き起こしをしなきゃ。

AERAでの学会発表決定: 来春はバンクーバー

ハロウィーン・ウィークエンドのコロンバスは、仮装した学生がそこらへんを歩いている。私自身は昔からあまり変身願望がなく、わざわざ大金をはたいて衣装を買って仮装する気にもならず、これがボストン修士留学時代を含めれば通算5回目のハロウィーンにも関わらず、未だにまともなハロウィーンの仮装をしたことがない。


2回だけ、プチ仮装をしたことはある。コロンバスの1年目、寮で仲が良かったアメリカ人の男の子が身の丈と体型が同じぐらいだったため、お互いに服を貸し合って、私が男装し、彼が女装して化粧をして、1日だけカップルになってハロウィーン・パーティに参加した。向こうは、かなり女装を楽しんでいたが、こちらはアイデンティティーの不一致で途中で気持ちが悪くなり、途中で借りたワイシャツとネクタイとジャケットは脱いでしまった(下にちゃんと自分のTシャツを着ていた)。ネクタイで首が絞まっている状態というのはどうにも我慢がならなかった。


その次の年は、別の友達と別のハロウィーン・パーティに参加したのだが、バカ高い衣装まで買うのがあほらしく、しっぽと耳だけ10ドルぐらいで購入し、1日だけトラになった。普通トラになるには、トラの着ぐるみを着るか、顔にペインティングをしてヒゲまで描かないといけないのだが、自分の顔にヒゲを描くなどとても耐えられず、中途半端な仮装になった。


今年は、特に何もせず、昨日はハロウィーンらしく、ゾンビの映画を友達と見たが(イギリスのゾンビ映画"28 days later"。なかなか面白かった)、あとは普通どおりの週末である。


でも、今年は一番いいハロウィーンのtreat(楽しみ、いいもの、嬉しいもの)をもらった。(ハロウィーンでは子供たちが"Trick or treat"と言いながら近所を回ってお菓子をもらう。)


今朝、パソコンを開けてみると、AERAからメールが来ていた。AERAの年1回の学会でのプレゼンテーションを行うためのプロポーザルの論文審査に通ったという通知だった!わーい!AERAでのプレゼンは初めてだ。AERAとはAmerican Educational Research Associationの略で、アメリカ最大かつ最も権威のある教育研究学会である。アメリカの教育学部の教授たちにとって、AERAは"the conference"である。学会、といったらAERAのことなのである。今年は11000以上のプロポーザル論文の応募があり、厳しい審査が行われた、とメールには書いてあった。私は今年のニューオーリンズで開かれたAERAには、指導教授のプレゼンを聞きに参加してみたのだが、ものすごい人出だった。学会も、1つのホテルには収まらず、会場は5つのホテルで行われたほどの規模であった。


普通、学会のプレゼンのプロポーザルが認められても、そのプロポーザルに対するコメントは返ってこない。(雑誌論文の投稿にはコメントが返ってくるけれども。)しかしAERAは何と3人のレヴュアーからの、プロポーザル論文についてのコメントと評価を返してくれた。実は今回のプロポーザルは、あまり自信がなかったので、指導教授にも、プロポーザルを出すことすら言わず、試しに書いて出してみた。試しに、といっても、3週間はまるまる費やしたので、あまりに適当なものはもちろん出していないが、なにしろ博士論文の研究はまだ始まったばかりなので、まだデータ分析まで行っておらず、その段階でプロポーザルを書くのはかなり大変だった。ところが、レビュアー3人とも概して高評価をしてくれたので、なんか自信がついてしまった。3月までに論文を仕上げないといけないが、頑張れそうだ。


これで来年の4月中旬の5日間、バンクーバーに行くことが決定。カナダの西海岸に行ったことはないので、楽しみ

夏の終わりに

オハイオに来たのは2008年9月2日である。暦では夏の終わりだが、実際にはまだ暑い夏の真っ只中だった。気温が華氏90度(摂氏32度)を超えており、湿度も高かった記憶がある。新しい環境での生活への期待感とともに、あとにしてきたもの―日本の家族や友人など―に対する一抹の寂寥感、孤独感を覚えながら、学期が始まるまでの3週間を過ごした。


それからまる3年が経とうとしている。最初の年を入れれば、4回目の夏の終わりだ。今までで一番「なんとなく」過ぎていった夏かもしれない。昨年の夏などは、candidacy examを数ヵ月後に控えていたこともあって、その試験準備に追われ、ただただ焦りが先立つ日々だったが、それでもかなりのことは達成できた夏だったと思う。しかし今年の夏は、なんだか知らないがやたら月日が経つのが早く、気づくともう8月の最後の日になっていたという感じである。


博士論文のリサーチのデータ収集も、夏が始まった頃に比べればかなり進んだと思う。でも、そのデータ分析はほとんど手付かずだし、もっと色々本を読む予定だったのに、一向にはかどっていない。それ以外にも色々やることはあったのに、出来ずじまい。でも振り返れば、来年の二つの学会のプロポーザルは提出できた。うーん、何もやっていない夏というわけでもないが、これをやりました、と胸を張って言えるほどでもない。まあ、ピッツバーグにも行ったし、カンザスやテキサスでレッドソックスの試合も見に行けたので、よしとするか。


オハイオは秋の虫が鳴き、朝晩はすっかり冷え込むようになった。そよ風があの懐かしい香りを運んでくるとき、一番好きな季節がもうすぐそこまでやってきているのを感じる。

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