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Author:まめ
アメリカ大学院留学。結婚・出産後、Ph.D.取得。イギリス引っ越し、1年後アメリカに戻る。現在、妊婦ワ―キングママです。


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カード届きました

グリーンカード2年条件削除、やっと終了しました。
オンラインのステイタスがカード作成中、に変わった7月31日から約1か月、ようやく新しいグリーンカードが送られてきました。
今度は「条件付き」じゃなくて、10年もののカードです。
3月に書類を出してから、約5か月。
スムーズにいったほうだと思います。

指紋採取のためにわざわざアメリカまで行かなければならなかったので、お金も体力も(1歳児を連れての海外渡航はきつい)要りましたが、無事終わって本当に良かった♡

もうすぐアメリカに本帰国になりますが、その前にカードが無事発行されたのもタイミングが良かったなぁ。
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イギリス滞在1年

イギリス滞在も今日で1年になりました。
夫のポスドクはアメリカでやってほしかったし、イギリスに引っ越しなんて面倒くさい!
と思っていましたが、今となっては本当に来て良かった!!
引っ越しでお金もびっくりするぐらい吹っ飛んだけど、やっぱり来たのは必然でした。

アメリカでは0~5歳までの子供が、無料で週何回も通えるようなプレイグループや児童センターはありません。
イギリスでは、児童センターが地域にいくつもあって、私も娘を連れて毎週通いました。
そこで、私にとっても、娘にとっても、素晴らしい出会いがあり、かけがえのない、おそらく一生もんの友人を得ることができました。

また、ひょんなことから、この町にも他に日本人がいることが分かり、毎週1回、母親と子供たち(10~20名)が集まって、ひらがなや日本語の言葉や数字を勉強したり、日本語の歌を歌ったり、本を読んだりするグループにも参加させてもらうことができました。

イギリスに来た当初、数か月間は、知り合いもいないし、友達を作る間もないぐらい論文執筆に忙しくしていて、寂しい毎日で、早くアメリカに戻りたいなあとばかり思っていました。
それが、友達ができるとこんなに楽しくなるものなんて、やっぱり人は一人では生きられない、社会性の動物なんだとつくづく思いました。

もともと2年の滞在予定だったのですが、夫の転職で、もうすぐアメリカに戻ることになりました。
夫にとっても、次の仕事は大きなステップアップで、それが出来たのも、イギリスでの仕事経験があったからのようです。
やっぱりEverything happens for a reason. なんですね。
やっぱり自分はアメリカのほうが居心地いいというか、言語も含めていろいろしっくりくるので、引っ越しは嬉しいのですが、イギリスを去るのは少し寂しくもあります。

アメリカに戻ったら、友達のほかに恋しくなるかもしれないのが、イギリスの夏の気候かな。
東京でもオハイオでも、夏は猛暑、って日が多かったのですが、こんなに過ごしやすい夏は生まれて初めて経験しました。
晴れた日の午前中や日の入り間近の時間帯は、北海道の夏のようなすがすがしさというか、本当に気持ちよくて。
7月の最高気温の平均が21度。暑い日でも25度を超えることはなく、逆に涼しい日には10度近くまで下がったり。
雨も多いのですが、オハイオみたいな湿気の多いサンダーストームじゃなくて、涼しい空気で、ベランダに出て景色を眺めるのが好きでした。
イギリスに昔住んでいた友人が、イギリスの夏は半袖が必要ない、って言っていた意味が分かりました。

海外からのグリーンカード2年条件削除

アメリカ市民との結婚によって得られる永住権(グリーンカード)は、最初はconditional permanent residenceと言われる、2年間の条件付きです。
つまり、その2年間は同じ結婚を継続していなければならず、グリーンカードの期限の2年が経過する前に、「2年条件削除」の手続きをしなければなりません。

先日、ようやくその手続きがほぼ完了したので、どれぐらいの期間がかかったのか、記しておこうと思います。
同じく、海外からこの手続きをする人たちの参考になればと思います。

しかしまあ、ついこの間グリーンカードを手にしたと思ったけど、2年なんて本当にあっという間ですね。
手続きは期限が切れる90日前から始められます。
私の場合は、3月18日が90日前に当たるので、それが過ぎたらすぐにアメリカに書類を送りました。

私は去年の8月下旬からイギリスにいるので、「グリーンカード保持者は1年以上アメリカを離れてはいけない」という規定もあり、うまくその期限(つまり今年の8月下旬)までに、アメリカでのバイオメトリクス(指紋採取と写真撮影)のアポイントメントができれば一番いいなと思っていました。
そこで一度アメリカに入国しておけば、イギリスでの滞在がもう一年可能になるからです。(契約書によれば、イギリスでの夫の仕事は2年間の予定。グリーンカードの2年条件削除の時期と重なったこともあり、re-entry permitが2年分出ませんでした。前記事参照。)

最悪、バイオメトリクスのアポイントメントが8月下旬までにできない場合、夫をイギリスに置いて、私と娘だけアメリカに行き、そこでバイオメトリクスのアポイントメントの通知が来るのを待ち続ける(=その間のホテル代などがかかる)ということになるので、そうならないように願いながら、ひたすら通知を待つ日々でした。

実際は、バイオメトリクスが7月9日に指定されたので、ほっとしましたが、他のブログを見るとバイトメトリクスの通知が、書類を送って1か月以内に届いたとか、そういうのが多かったので、なかなか来なかった私は、かなり焦って、2~3回USCISに問い合わせをしました。もちろん、「そのうち届くから待て」と言われるだけでしたが。

あと、自分のUSの住所は、夫の実家にするとカリフォルニアでイギリスからは遠すぎるので、バイオメトリクスを慣れ親しんだコロンバスで受けることが出来るようにするために、コロンバスの友人に住所を借りました。
USCISからはそこに書類が届き、その友人が私のイギリスの住所に書類を送ってくれました。

3月20日 2年条件削除の書類をアメリカに送る

送った書類は
1) Form I-751
2) 申請料($505)、加えてバイオメトリクスの料金($85)
3) グリーンカードのコピー(表と裏)
4) 日本のパスポートのコピー
5) 娘のUS出生証明書(原本)
6) 夫と私の両方の名前が書かれたイギリスでのアパート契約書のコピー
7) イギリスの毎月のアパート代を支払ったレシートのコピー
8) joint Federal income tax returnsのコピー(2014年と2013年の分)
9) joint Ohio income tax returnsのコピー(2014年と2013年の分)
10) イギリスに引っ越す前の1年間のアメリカでの電気代請求書のコピー
11) 昨年11月に家族で日本に一時帰国した際の飛行機チケット(3人分,、同じフライト)のコピー
12) 夫の祖母から来た手紙のコピー(夫と私の両方に宛ててある)
13) 夫の母から送られてきたプレゼントの中に入っていたpacking slipsのコピー(夫と私の両方に宛ててある)
14) 自分たちで作った家族写真入りのクリスマスカード(昨年ののクリスマスに家族・友人に送ったもの)
15) 夫と私の両方を知る友人2名からのaffidavits(結婚生活が良好な関係で継続されており今後も長く続くものであると述べた宣誓書)

3月31日 USCISから、書類を受領したという通知が出される。

4月6日 オハイオの住所を借りている友人から、受領の書類が届いたよーとメールをもらう。

書類をスキャンしてメールで送ってくれたのですが、そこには、まず、2年条件付きの永住権を1年延長する、と書いてありました。
これで、次にアメリカに入国する際には、期限切れのグリーンカードと一緒にこの書類を見せれば、グリーンカード保持者として扱ってもらえます。

ここから待てど暮らせどバイトメトリクスの通知が来ず。何度かUSCISに問い合わせをしました。

6月26日 友人からやっとバイオメトリクスの通知が届いたと連絡あり。

日時指定されるのですが、7月9日になっており、あまり日がないため、急きょ飛行機の予約を取るも、高額!
仕方ないけど痛い出費・・・。
夫は仕事があるため、1歳児を置いていくわけにもいかず、娘を連れての渡米。娘には座席代がほとんどかからないにも関わらず、往復で1600ドルを超えました

7月9日2時~ コロンバスのUSCISオフィスで指紋採取・写真撮影。

7月7日~14日までコロンバスに滞在。
ぐずる娘を連れての長距離飛行機は大変でしたが、たくさん友達に会えて大満足の旅になりました。
もちろん、バイオメトリクスも問題なく終了。

7月31日 新しいカードが発行される

まだ届いてはいませんが、じきにカードが友人のところに届くようです。
3月31日以降、ずーっと「書類受領しました」のままになっていたUSCISのオンラインのステータスが、ようやく「新しいカードが発行されます」に変わりました!
  
つまり、取った指紋がOKだったということで、もう一度アメリカに指紋採取のために行かなくて済むのが嬉しい!

実は前回、最初のグリーンカードの申請のとき、私の指紋が薄いから、FBIが認めませんでした、というレターが届き、指紋採取の2回目があったのです。無料だったのですが、その間1か月ぐらいかかっているので、今回もそういうことになったら嫌だなと思っていました。もう飛行機は当分いいや・・・という感じです。

これで、グリーンカード更新は10年後!今度は条件なしの正式なグリーンカードです。ああー無事に終わって本当に良かった

Re-entry permit出ました・・・が意味なし。

またブログ放置してしまいました...m(*- -*)m

なんでしょうね、この「書きたくなるサイクル」と「書くことに興味がなくなるサイクル」が交互にやってくるのは。

前の記事に書いたRe-entry permitですが、本来1か月ぐらいで出るはずのところが、9か月待ち(!)で、やっと3月にロンドンのアメリカ大使館に行って受け取ることが出来ました。
グリーンカード保持者は1年までしかアメリカを離れることができないのですが、これがあれば2年まで離れていてもグリーンカードを取り上げられることなく、またアメリカに入国できる(ただし保証はしない、と但し書きはありますが)というものです。

とはいえ、私の場合、グリーンカードがちょうど6月で切れるところだったので、本当なら2年間有効のRe-entry permitが出るはずのところが、グリーンカードが切れる日で同じく失効するRe-entry permitしか出してもらえず。

イギリスに2年間滞在後、無事にアメリカに戻るために取ったRe-entry permitなのに、全く意味がありませんでした。

申請料500ドルが無駄。

イギリスでの滞在を終えてアメリカに戻るときに、家族(二人ともアメリカ人だから問題なし)がアメリカに入れて自分だけ入れず、別室に連れて行かれるようなことになったら困ると思い、USCISにひたすら電話。
応対する人によって言うことが違うともっぱらの噂なので、念には念を入れて、複数の人と話しましたが、「アメリカ国外で1年が経つ前に1度アメリカに入国すれば、再びその時点からのアメリカ国外滞在期間のカウントになる」とのことでした。

ホントかなあ・・・?

移民弁護士のサイトとか見ると、
6か月以上アメリカを離れる場合は、アメリカ入国の際に問題視されるため、Re-entry permitを取っておく必要があるだとか、
グリーンカードを保持するために年に1回ちょろっとアメリカに入国するぐらいでは「アメリカに居住している」とみなされないため、グリーンカードが没収される恐れがある、とか、
色々怖いことが書いてあるのですが。

そうこうしているうちに、グリーンカード更新(厳密には、2年条件削除の申請)のための指紋採取(アメリカ国内でしかやってくれない)の連絡が来たので、どちらにせよ、アメリカに一度帰ることになりました。
イギリス滞在が1年になる前にこの連絡が来てほっと一安心ですが、ますますRe-entry permitの申請は必要なかった・・・とガックリ。
ちなみに、2年条件削除ではなくて、通常の10年ごとのグリーンカード更新の人の場合は、Re-entry permitはグリーンカードが切れる期限がせまっていても、普通に2年有効のものを出してもらえるそうです。

ベルリンという街②

berlin


1943年11月23日のベルリン大空襲で破壊されたカイザー・ヴィルヘルム教会。
ベルリンの街を歩いていて何度も目にしました。
戦争の悲惨さを伝えるものとして、最低限の修復だけがなされて、今もそのまま残っています。
記念碑でありながら、今も記念ホールなどとして使われているそうです。

先の大戦中は、東京も大規模な空襲を受けましたが、ベルリンも例外ではなく、目を覆うばかりの惨状だったと聞きました。
ベルリンの街を歩いていると、空襲で破壊されたのがどの部分なのか、よくわかります。
モダンな建物や団地のような建物が続く中、突然、格式高い、ヨーロッパ的な煉瓦の建物などが存在するからです。戦火を免れた建物なのだとすぐに分かります。

ベルリンはモダニズムと歴史・伝統が共存する街です。
しゃれたブティックや高級ブランド店が建ち並ぶ通りがあるかと思えば、一部のベルリンの壁が今も残されているところがあったり。

ここにはベルリンの壁がかつてありました、と伝えるプレートは、ベルリンのところどころで見られます。

berlin 6

カラフルな当時の落書きもそのままの、ベルリンの壁が展示されていました。
この裏側には、ドイツ軍のユニフォームを来た(というかコスプレの)ドイツ人のイケメン兄ちゃんたちが、ドイツの国旗を手に立っていました。大学生のバイトで、お金を少しもらって一緒に写真を撮る、ということをやっているんだと言っていました。
目が真っ青で、眉毛が金髪で、いかにも戦争映画に出てきそうなお兄ちゃんたちでした。

berlin 2

かつてナチスのゲシュタポやSSの本部があったところには、トポグラフィー・オブ・テラーという、ナチスの歴史や非人道的な行為について詳細に展示した博物館があります。
英語訳もついていて、写真やドキュメントも豊富に展示してあり、読み応えがありました。
ここがベルリンで一番行って良かったと思えたところかな。

berlin 5

トポグラフィー・オブ・テラーの敷地内には、今もベルリンの壁がそのまま保存されています。

berlin 4

berlin 3

壁博物館にも行きました。ドイツが分断されていた時代、アメリカが支配していた地域にあり、西ベルリンと東ドイツの国境跡(チャーリーズ・チェックポイント)が今も残っています。

DSCF9927.jpg

ベルリンの壁が出来た背景には東西冷戦があり、ドイツの責任ではないためか、この壁博物館はかなり入場料を取られた気がします。
一方、ナチスドイツが犯した罪を展示しているトポグラフィーのほうは、入場無料です。ドイツは加害者側ですから、お金を取るわけにはいかないのでしょうね。

ベルリンの街からは、過去の過ちも悲しい歴史も、忘れてはならないこととしてすべて認めた上で、前向きに明るい未来を築いていこうというドイツ人の姿勢が感じられました。

同じく戦争の加害者側だった日本がドイツから学べることは多いように思います。
例えば東京では、戦争関連の資料館はいくつかあるのですが、戦争中・戦後の国民生活の労苦について(昭和館)だったり、戦傷病についての体験について(しょうけい館)だったり、東京大空襲の惨状について(東京大空襲・戦災資料センター)だったりして、当時の日本国民の苦しみと戦災を展示したものが主なんですよね。
あくまでも日本人がメイン。

当時の帝国陸海軍の歴史とか、軍国主義、どのように戦争に突っ走っていったのか、そして占領地で行った戦争犯罪、現地の人々の苦しみについて、きちんと資料も展示して、日本人も観光客も学べるような博物館が、首都に1つぐらいあっても良い気がします。

戦争中の過ちを認め、なぜそうなったのかを知り、そこから学べることは何か、そして未来をどう構築していくべきかを一人一人が考えられるようにしていく、という大事なことが、日本の教育からは少し抜け落ちているのではないか・・・そんなことを、ベルリンの街を歩きながら感じました。
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